電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

荒れ野の70年(なのか?)

何かざっくり検索かけても、ヴァイツゼッカーの名演説と関連で、今回の安倍パイセンの談話を語ってるのを見かけないので、ツイッターで呟いたままを、そのままこっちにも載せておく。

首相談話、嫌いじゃないな。右顧左眄じゃなく、バランス取れてると表現したい感じ。パイセンがんばった。

てかパイセン単に成蹊出でモノ知らないお坊ちゃんなんだから、そんなこと言うとこうなっちゃいますよと優しく諭してくれる説得力ある人がソバにいれば、そんなに暴走しない気がし始めた。

真っ向からヴァイツゼッカーの歴史的談話に対立する内容を持ちながら、結構謙虚で謝ってるという。

戦後生まれのドイツ人が、ヒトラーとナチの犯罪の責任を取り続けなくちゃいかんのかと言われたら、そりゃ違うだろとは思うので、ここは安倍パイセンに賛成。

大体、国というか、時の権力がやったことの責任を、後から生まれた末端の庶民が取らなくちゃいけないって、それはさすがに違うと思う。

んじゃ、おめーはドイツ人の若いの捕まえてユダヤ殺したろって責めるのかって話だよな。おれの知ってるドイツ人みんないい奴だぜ(一人も知らないけど)。

やっぱ今回の安倍パイセンの談話は、ヴァイツゼッカーを意識してるんだな。構成そっくりだわー。/「荒れ野の40年 ワイツゼッカー連邦大統領演説全文」 http://r.binb.jp/epm/e1_6434_07022015122740/

ヴァイツゼッカーにあって安部パイセンにないのはここ。「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります」。

おれからすれば、日本の罪を引き受けるのは、日本人だけではなく、世界中の人間である筈だというのは、当たり前の感情。それを政治家がどう政治的に表現するか。その意味で、今回のスピーチライターは充分がんばった。

おっぱいこそが映画だ! 〜極私的おっぱい映画ベストテン

久々、映画ベストテンに参加。

映画ベストテン・番外編「おっぱい映画ベストテン」
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20150424

まずはベストテンをあげてしまおう。

1位)「ミッドナイト・エクスプレス」1978年 アラン・パーカー監督/アンリーン・ミラクル

2位)「タイタニック」1997年 ジェームズ・キャメロン監督/ケイト・ウィンスレット

3位)「愛の渦」2014年 三浦大輔監督/門脇麦

4位)「さよならみどりちゃん」2004年 古厩智之監督/星野真里

5位)「遠雷」1981年 根岸吉太郎監督/石田えり

6位)「ソナチネ」1993年 北野武監督/国舞亜矢

7位)「空気人形」2009年 是枝裕和監督/ペ・ドゥナ

8位)「吶喊」1975年 岡本喜八監督/千波恵美子

9位)「肉弾」1968年 岡本喜八監督/大谷直子

10位)「危険なメソッド」2011年 デヴィッド・クローネンバーグ監督/キーラ・ナイトレイ

しかし、キャメロンとかクローネンバーグの映画が自分のベストテンに入ってくるなんて、ありえないくらい、おっぱいである。あっ、おれ的には、映画のおっぱいとは乳首見えが前提。乳首見えないおっぱいなんておっぱいじゃない。

1位の「ミッドナイト・エクスプレス」はもうこれしかないだろというエロいおっぱい。全然エロくない映画だからこそ、異常にエロいおっぱい。女優さんの名前はまったく記憶になく調べたくらいなのに圧倒的にエロいおっぱい。この映画観た人なら同意してくれる筈。初見は貸しビデオだったが、このシーン含め、前後が荒れていた。つまり多くの人がこのシーンだけを巻き戻して繰り返して観るという。

2位「タイタニック」。まあいい映画なのは当たり前だけど、普通のベストテン系の企画だったら絶対選ばないよなというほどの有名でメジャーで大ヒットな映画なわけだ。が、こと企画がおっぱいなら別だ。比較的最近のケイト・ウィンスレッドのインタビューで「未だにこの映画のおっぱいシーンのポートレイト持ってきてサインくださいとか言われる(怒)」なことを言っていたが、まあしょうがないよな。おれも欲しいもの。

3位「愛の渦」。この映画はおっぱいまみれな映画だが、もうね、とにかく門脇麦なのだよ。それほど門脇麦のおっぱいに意味がある映画。他の女優陣も含め全員が見せまくりなのに、未だ乳首見せない三津谷葉子の潔くなさ(乳首紫色とかなのか?)との対比も鮮やか。門脇麦、今期の朝ドラでヒロイン土屋太鳳のお友達として、ほわんとした役やってます。がんばれ、門脇麦(のおっぱい)。

4位「さよならみどりちゃん」。世にも有名な世界三大がっかりのひとつ。おれは全然がっかりしない。古厩智之は手堅い映画を作る人だが、この映画の星野真理のおっぱいシーンはやたらラディカルだ。その後のキレのいいエンディングとあわせ、映画的に圧倒的に評価したい優れたおっぱい映画。

5位「遠雷」。この映画全然覚えてないんだよなあ。何回か観てる筈なんだが。石田えりのおっぱいしか記憶が残ってないという。ひょっとしたら観てないのかもしれない(苦笑)。取りも直さず、優れたおっぱいである証明だろう。優れた映画なのかは知らん。

一方6位の「ソナチネ」は、1位の「ミッドナイト・エクスプレス」タイプだ。映画として凄くて、エロくない映画で、だからとしてワンシーンおっぱいのエロさが強烈に突き刺さるという。実にいいおっぱいです。

7位は「空気人形」。是枝裕和も普通にいい映画を作る監督で、だからこそというか、おれにはあまりフックがない。けれどこの映画は別だ。それは全編ペ・ドゥナのおっぱいだからだという以外の理由はない。

この手の企画だと自分に1監督1作品のシバリをかけることが多いんだが、今回は縛らないで8位「吶喊」と9位「肉弾」と岡本喜八のおっぱいを2本。どっちもいいんだよねえ。ともに勢いある青春おっぱいなのは同じなんだが、けれど見せ方が違う。エネルギーあふれ思わずこぼれたおっぱいと、情緒的だがばーんとしたおっぱい。エロなら前者かなという気がするので「吶喊」を上にした。勿論映画として2作とも傑作。

10位には、おれのキーラのおっぱいを選んでおきたくて、どれにするかと思い悩んだんだが、実はこの映画のキーラ・ナイトレイはおれのキーラじゃない「危険なメソッド」。だってキモいんだもの。気狂い演技が凄過ぎて。でも、おっぱいは印象的なの。WOWOWのW座で、薫堂さんと故水丸さんが、揃って言及していた、圧倒的に意味不明なハミ乳シーンがある故の選択だ。キーラもそうなんだが、入れるか迷ったイザベル・アジャーニとかナスターシャ・キンスキーとか、おっぱい見える映画より見えない映画の方が圧倒的にいいのが多くて残念だよな。見える奴は、映画として足りないものがあるから、おっぱいで補填してる感があるというか。つまり、おっぱいこそが映画性。

その他でベストに入れるか迷った映画としては「ロボコップ」「スターシップ・トゥルーパーズ」「ショーガール」のバーホーベンだったり、原田美枝子のあれだったり、桃井かおりのこれだったり。どれも今観ても鮮烈なおっぱいだと思うのだが、バーホーベンのおっぱいはあまりに無名性と群集性が強過ぎ、後者の大物女優さん二人には、おれだけのモノ感が足りない気がして選ばなかった。

それにしたって、映画におけるおっぱいって、ひとつのジャンルであり切り口であり、だからこそ作り手にとってはセンスだと思うのよ。どういうおっぱいを見せるかこそが監督の手腕というか。まあ「遠雷」みたいにおっぱいしか覚えてないってのも、どうなのよとは思うが。

膝と膝の間に

どちらかといえばO脚らしい。

らしいなどと曖昧な事を書いているのは、それらしいと気付いたのが、何年か前、何かの機会、健康検診的・体力測定的なモノをやらされ、前屈を測る際に、はい膝曲げないで両方の膝ちゃんと付けてとか言われて、付けてるつもりなのだが付いてない、駄目です付けなきゃ、いや付けたくてもつかないんだ、こうやって付けるんです、ほらぐいぐい、そんなにぎゅっとしないでいたたたっなどという事があったからで、それでもとりわけO脚などというレベルのことなのか、よく分かってない為、どちらかといえばとか、らしいという辺りの表現が精一杯な訳である。少なくとも間違いないのは、普通に直立した状態で足を閉じていると、両足の膝頭の間には数センチの空間が出来てしまう。最も踵を付け爪先を開くようにすると、あっさり付いてしまうから、益々判断に迷う所ではある。

寝る時は横向きで寝る。目が醒めると、ほとんど上を向いているんだが、それでも寝入る時は横を向く。どっち向きでも構わない。その時、足はぴったり揃える。下になる足の膝に、上の足の膝が乗る形になる。

病気をして大幅に痩せた。食事には気を使い続けているし、軽い運動も積み重ねているので、まだ三ヶ月強ではあるものの、体重は更に落ちることはあっても退院時のそれを超えたことはない。身体が軽くて、概ねというか全般的には調子は良い。ところが、寝ようとすると、膝が痛いのだ。恐らく股から膝までの脂肪が落ちたからだろう、横を向いて脚を重ねると、両の膝がごりごりっと当たる感覚があって、痛いというのは、やや大袈裟かもしれぬ、それなりの不快感というのが妥当な辺りとも思うんだが、毎晩ごりっと来る。

O脚的に離れた両膝が、横を向いて寝る事で、重力によって、X脚への強制圧力が掛かっている状態とでも言えようか。加齢によって膝関節が柔軟性を失ってきているのかもしれない。兎に角、痛い。というほどでもないが不快だ。

そこで、寝入る時に、タオルなどを畳んで膝の間に挟んでみた。意外や悪くない。ユニクロのフリース辺りだと畳んでもふかふかで尚更具合がよい。目が覚めて上を向いていると、挟んだ物体は何処かに蹴散らしてるが、たまに横を向いた状態のままだと、ちゃんと挟んだままだったりする。万事解決と言ってよい。

が、この程度のささやかな出来事からでも考えさせられる事もあるもので。

二十歳を過ぎてから、ひたすら溜め込んだ脂肪の替わりに、少しずつ無くしていったものが、その脂肪を落としたからといって、戻ってくるかといえば、そんなことはないのである。

それは、股の筋肉や、膝関節の柔軟性だけでなく、熱い情熱だったり、長続きした集中力だったり、そうして、替わりに、脂肪と一緒に、諦めの良さや、シニカルな笑いばかりを蓄積してきたのだ。

失ったものを取り戻すのは大変でも、もっと色々捨ててしまって、もっと身軽になるなら出来るんだと、少しは前向きに今の自分を状態を理解して、すかすかになった膝と膝の間に、今日もユニクロのフリースを挟んで寝るとしよう。

絶賛「味園ユニバース」

2月の更新してなかったよー。

ということで、散々絶賛を繰り返した山下敦弘の新作「味園ユニバース」関連のツイートをまとめておく。「百円の恋」にしても、これにしても、邦画は充分面白い。何とかのゼロとか大作がくだらないのはどこのクニでも一緒だと思うし。

2月23日
味園ユニバース」。まーた、山下敦弘の演出も二階堂ふみの芝居も、うんざりするほど上手くて、最早嫌味に近い普通に良い映画かと思っていると、横から全部持ってくのは、関ジャニ渋谷すばる。この子歌も演技も凄い。周りの整合性を破壊する魅力。傑作。

山下敦弘のアベレージの高さは異常。しかもまた上げてくるし。

最近のジャニーズは侮れないよなと度々書きながら、実は未だに多少侮っていたんだが、今日で本気に改心した。それほど渋谷すばる、よかった。

山下敦弘アベレージ高いよなとか書きながら、実は未だにリンダリンダリンダが一番好きなんだが、味園ユニバースは超えたかも。雨の下駄箱に匹敵するモノ描写もあるしなあ。まあ二回目三回目観ないと分からないけど。個人的に突き刺さりまくりなところがあってさー。

味園ユニバースのツイが珍しく不気味な勢いで拡散され始めた。ポチ男みたいな怖い人に絡まれたらどうしよう。びくびく。

2月26日
怒りの定時退社からの、味園ユニバース二回目。

味園ユニバース」二回目。やっぱこれメチャ好きやわー(突然関西弁)。そうだよな、嫌なら捨てればいいんだよな。けど捨ててばかりいるとクズになっちゃうんだ。……でも捨てるんだよ!

味園ユニバース」、多分今年のベストどころか、ここ数年間のベストだな。あくまで、おれにとってはの話だが。勿論、一般論として、普通に傑作である事は、ほとんどの人が認めてくれるだろうけど。

2月27日
渋谷すばるを、シブタニすばると読むのを知ったのは実は昨日でした(えーっ笑)。

普通シブヤとしか読めない(強弁)。

山田孝之の深夜ドラマで喜んでいる人は、是非とも山下敦弘の本業の新作映画「味園ユニバース」観て欲しいなあ。色々出来る人なんだよ、この監督は。あと赤羽路線のフェイクドキュメンタリーなら「汁刑事」とかもいいよ(シルデカと読む)。

この劇中歌の「ココロオドレバ」がこういうスカで痛快な曲じゃなければ、「味園ユニバース」そこまで好きにならなかった可能性も若干ある。シブタニすばる - ココロオドレバ https://www.youtube.com/watch?v=9eYq9pbk-rc

映画『味園ユニバース』予告編 https://t.co/opfroWAeKb

でもこの予告編、いいとこ使い過ぎ。

3月7日
味園ユニバース」三回目。おれの21世紀の3本は、今の所「その男ヴァンダム」「スーパー!」、そして「味園ユニバース」だな! 次点「パシリム」。

しかし、味ユニ、違う映画館で三回観たが、何処も、渋谷すばる目当て(恐らく)の女性連ればかりで、男が異常に少ないの。最近の若い兄ちゃんは、こういうクズなアウトローに自分を重ねたりしないのかしらね。何か納得いかねえな。

黄昏の英語学習

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。……って、もう2月だよ。

今年も月イチ更新目標だが、何か今年辺りから、ブログに書きたいような事も、ぽつぽつ出て来るような予感もする(多分予感だけ)。

ところで、母さん、僕のあの英語学習どうなつたでせうね。ええ、引きこもつたままモノにしてやると息巻いていたやつですよ。

……実はちゃんとやってるんだよー。但し細々とな。無理ないペースでな。日々の生活環境も色々変わったことだし。いやいや、英語を流し聞きしている時間は、ほぼ減ってないのは確かで。そうやって耳と頭に英語を染み込ませて続けて、そろそろ、みっちり学び込む、本格的なトレーニング復活の日も近いというか。

ただ、ホントに染み込んできたのかと問われると、これがちょっと自信ないのも確かなんだが。では、英語を染み込ますって何だと問われても、これまた難しい。恐らく若い頃に母国語以外の言語をモノにした人間には、実感として理解出来ないと思うのよね。聞いてたら自然と分かるようになったというのが普通だと思うので。ところがこっちは、どうしたって自然に分かるようにはならない歳なんだよな。悲しい。

語彙が増えないのが厳しいところ。単語や熟語をそれのみで覚えるのは、やっぱりどうしてもダメだ(それにしたって、単語アプリを何順も終えているんだよ)。面白くなさ過ぎ。なので方法論として落ち着いてるのは、精聴(?)時間と量を増やして、その過程で語彙を充実させていくことなんだが。結局は、どれだけ時間をかけられるかなんだよねえ。という当たり前の話。

時たま、普通の速度の英語が、意味ごとスルっと入ってくることはある。けど、それが上達の結果そうなったのか、たまたま未知の単語がなかったり、意味を推測できる内容であったからだったり、つまり、昔からそのくらいなら分かったんじゃないかという疑問も拭えない。どうやって英語をマスターしていくのか、それ以前はどうだったのかを、忘れない為にこうやって記録し始めたつもりだったのに、どれくらい英語が出来たか(あるいは出来なかったか)、もうすっかり忘れてしまっているという。

つまり、色々な意味で、衰える記憶力との戦いであるわけだ。人生、黄昏時。

「百円の恋」雑感 〜ジャンルにとってリアルとは何か?

スポーツ観戦は好きだし、映画も好きだ。けれど、スポーツ映画はあまり好きではない。

これってよく考えると自分でも不思議で、あまり普通ではない気がする。とんかつもカレーも好きなら、カツカレー好きだろ? ……大好きです(あくまでロースで頼むよ)。

スポーツ映画ベスト10選べと言われても選べない。そのくらい好きな映画が少ない。「メジャーリーグ」の一本目は凄く好き。あのチャーリー・シーンが眼鏡かけるだけでノーコン克服してしまうファンタジーっぷりが最高。けれどそのくらいかなあ。ロッキーは1本目が中3で、かなりガツンと来たけど、それ以外はどーもなあ(ファイナルはよかったよ)。

だってね、スポーツ映画のスポーツって大体ファンタジーじゃん。全然リアルじゃなくて。だったら、スポーツそれ自体はリアルで観た方が、面白くない? 勿論、映画の方は逆にそのファンタジーぶりが面白いわけで。

「ロッキー」でスタローンが売れて、その後巨匠のハワード・ホークスがスタローンで「勝利への脱出」というサッカー映画を撮った。この映画はかなり好き。超感動した(大人になってからも再見してまた感動した)。けどこれサッカー映画かと言われると、かなり微妙。ペレとか出てるしサッカー映画なんだが。近年では、クリント・イーストウッド南アフリカとラクビーを舞台に「インビクタス」を撮って、これまたいい映画だったけど、これをラクビー映画(としか言い様がない)と言われると、どうなのよって話と同じで。感動のポイントは、ラクビーの本質とはまるで関係ないというか。

確か三田誠広だったと思うが、数学にだって人間ドラマがあって、そういうとこから見ると数学だって面白い的なことをエッセイで書いてて、その文章を読んだ頃は、もう高校生だったと思うが、当時からそれって数学が面白いんじゃなくて、それにまつわる人間ドラマが面白いだけだよなと思っていた。

科学の世界にだって、芸術の世界にだって、当然、人間ドラマはあって、そこに着目したがるメディアの側が多い事も確かだ。分かり易いもの。

リアルの方の格闘技で言えば「彼には負けられない理由がある」的な煽りに代表される、陳腐で凡庸な人間ドラマ。観るたびにうんざりする。そんなくだらないモン観るなら、朝ドラでも観るぜ(たまにもっとくだらなかったりするが)。

そうして、ようやく話は「百円の恋」にたどり着く。32歳で何事にもやる気のないニートなオバさん(になりかけ)が、一念発起して(という感じではないのが、またミソなんだが)、ボクシングを始め、プロデビュー戦を迎える。ボクシング映画のフォーマットに沿って、あえてステロタイプに展開するから、最後はそのプロデビュー戦で、まあそれだけの映画だ。

が、しかしびっくりするほどリアルなんだな、これが。安藤サクラ、あれだけステップ踏めればプロテストいけるんではないか。そのレベルにまで到達している。

かと言って、映画としてフィクションとして考えた場合、リアルならそれでいいのか。はっきり言って、フィクションでそれやって面白くなるのか。そこが問題なんである。

ツイッターではこう書いた。文章ちょっとおかしいとこあるけど、そのまんま転載しておく。

「百円の恋」、傑作。恐らく現時点までで最も「ジョシカク」(この言葉好きじゃないけど)な作品。女子が、否、人が戦いに向かう理由など徹底的に個人的なものであり、どうでもいいのだという事を徹底的に表現するという方法論を用いる事で、この映画は圧倒的なリアルさを獲得してる。

「百円の恋」、可能な限りネタバレは避けて、まずは技術編。ボクシング映画ならラストは試合というのは定番だが、女子のデビュー戦、この内容ならリアルだと1Rで止められてしまうという点さえ棚上げすれば、とにかく、安藤サクラが肉体でリアルさを担保している。

勿論それは安藤サクラのがんばりが一番なんだが、何が上手くなったことを見せれば説得力が出るのか、よく計算されてるんだな。縄跳び、レバーブロー、何よりフットワーク(あとグローブに書いてある名前とか笑)。そこが成長していくことで、うわーリアルだ、すげーと

うわーリアルだ、すげーと素直に思わせてくれる。見事な演出。とは言え、安藤サクラ、序盤ツクリ過ぎな感。後半が圧倒的にいいし、何故ここでという、おっぱいバーンまでしてるので(おれが観てる限り「俺たちに明日はないッス」以来?)、全部許してしまうんだが。

そうして「百円の恋」、試合あとの安藤サクラの科白(内容は書かない)が最高なんだ。この映画をリアルなボクシング映画として成立させている一番重要なリアル。またね、それを受ける例によって最低男やらせればNo.1(苦笑)な新井浩文と力の入らない受けも相まって。

女子が格闘技に向かうのに、別に大した理由はいらないし、それがボクシングである必要もない。そこをきっちり描いているからこそ、余計ボクシングそれ自体の魅力まで引き立つという効果がバツグン。ファン関係者必見(選手はどう思うか知らん)。傑作「百円の恋」雑感了。

そうそう「百円の恋」、「勇気をもらいました!」「私もがんばります!」的感想から、最も遠いところにある内容なんだが、別に「勇気をもらって」もその勘違いも明らかな間違いというわけではないという意味では、充分に商業主義的なエンターテインメントだと言える。事実、入ってたしな。

では、そのボクシングの魅力とは何なのかと言われたら、やはり劇中で安藤サクラが言ってる。「何かいいよね」と。

それがリアルなわけだ。サッカーと野球、どっちが好きかと問われて、その回答に人は色々理由はつけられるけれど、どっちが面白いか何が面白いかなんて、ほとんどは、好き嫌いで片付けられてしまう。そういうリアルに意味付けしたり言葉で飾るのは、ライターや文学者の仕事。パンピーは、リアルな作品である試合(や練習の風景やエトセトラ)から触発された再生産の文章作品として、それを楽しめばいいだけである。

スポーツ、ことに格闘技の場合、意味が問われ過ぎる。何故、勝ちたいのかと。

勝ちたいから、勝ちたい。それでいいではないか。それが競技スポーツであり、格闘技であり、ボクシングである。そこをそのまま描いて、フィクションとして光輝いている。「百円の恋」って、そういうリアルだ。今年のベストワン。

続・ガキの頃から心が不全

ここからの続き。以下も11月末日日付だが、現在12月29日なのは変わらず。

ER入って、ちょろちょろ検査をしていると、まずは血圧が高過ぎ。加えて胸水・腹水が大量に溜まっていて、心臓の写りが悪い、肥大もしていてこれじゃまともに動かないということで、診断結果は「慢性心不全」。即時入院決定。あーあ。

治療方法は、利尿剤を点滴で入れて、とにかく胸水・腹水を出す。いきなりの尿道カテーテルだ。これがなあ。例のチンポ管。やだなあと思ってるうちに、先生にぐいぐい管突っ込まれ、まだ二回目なのそんなに痛くしないで! って感じ(十数年前の1回目の時は、全身麻酔中に入れられたので、覚えてない)。

が、そうして水を出していくと、日々楽になっていく。とにかく胸水と腹水で心臓が圧迫されていたということなんだろう。

まーそんで検査だね。色々と。最終的には、心カテーテルという、管を心臓まで届かして(色々手術することが可能だが、自分の場合はそこまでのことはせず)のテクを使って、造影剤ぶちこんで、心臓とその周辺の血管の状態をきっちり調べる。

結果としては、代表的な心臓疾患である、狭心症でも弁膜症でもなく、比較的血管の状態もきれいということで、じゃ生活習慣病ですねと自分で診断を出して、その通りだねなんて、心カテーテルの最中に先生と言葉を交わしたくらい、ネットで調べまくって分かる慢性心不全

原因が明確でないから、逆に始末に終えないとも言える。要は生活習慣をかえて、真っ当な生活したって、弱った心臓を鍛えることは出来ない。水分制限、塩分制限して、適度な運動をして、降圧剤を一生飲み続け、可能な限り血圧を抑えて、静かに生活してくださいってさ。煙草を吸うなとか酒を飲むなとか、私の勝手じゃないの!

無理だな。

いよいよ秒読みだ。おれの命がな。ただ秒読みを少しでも長く続けられるように、そこそこの試みはする。その辺はツイッターで継続的に。

とは言え、現時点で、20代後半の体重に落ちてるのよね。極論すると11月と12月使って、かなり激しいダイエットに成功した感じで(利尿剤ダイエット)。へこんだ自分の腹が、ちょっとまぶしい。今に腹筋割れそうな勢い。こっそり筋トレしちゃおうっと。

ガキの頃から心が不全

10月末の日付で更新しているが、現在12月29日、もうすぐ今年も終わりだ。

12月3日に慢性心不全と診断され、即時入院、15日に退院した。以下、事実関係を記しておく。加えて、なるべくカメラを引いて、可能な限り、主観的な雑感も客観的になるように。

ここ数年の引きこもり生活から、8月のアタマに、十数年ぶりに外に出て仕事することになった。

引きこもり中は、比較的健康的な生活だった。この歳なんだ、もう健康に気を使うことに照れないと決めたことが大きい。が、外に出るとそうはいかない。色々ある。色々あるんである。それでも何とか食生活だけは健康的なモノを維持していたのが10月の半ばくらいまでか。酒量は既に増え始めていたが。

朝と昼は健康的な食生活を続けてはいたものの、そこそこ遅く帰って、自宅で強い酒を飲んで、日が変わってから締めのラーメン。それを週に3回か4回。加えて土日は、まあ週末だし、ストレスも溜まっているしと自分に言い訳して暴飲暴食。

11月に入った頃(わずか数週間で)おかしくなった。激しい息切れ。夜の息苦しさ。面白かったのが、こりゃマズいぞと、すぐに食生活を改善し、特にカロリーには気を使い、かなりのダイエットメニューにしたにも係らず(なので11月は酒もほとんど飲んでいない)、どんどん腹(というより胸に近い位置)が膨らんでいく。体重こそ計ってなかったものの、日々デブっていく。最初は気胸かなと思ったくらいで。それなら息苦しさとも矛盾しない。

「救心」という自分くらいの世代なら、誰でも知っている薬がある。これを買って飲んでみると少し楽になるような気がした。息が切れるのは、まだいい。ただでさえ、ぶつ切り睡眠なのに、息苦しくて寝付けなかった。これが多少改善した気がした。が、悪い方向に慣れてしまっただけだったのかもしれない。だって、朝から電信柱にしみついてしまうのよ(東京で生まれたオヤジ)。数十メートル歩くだけで。おまけに足つるし。

これはヤバいかもと思いながら、姪っ子の結婚式が11月末にあったので、そこまでは我慢した。今から思うに、食生活をすぐに改善した為、逆に中途半端に持たせてしまったのかもなあとは思う。自宅から駅まで2分、勤務地は地下鉄の駅から直通。ろくろく歩かなくとも、日々働けてしまう環境であったことも裏目に出たかも。

仕事も少しキリがよくなったと思ったら、12月に入って1日と2日、行けなかった。辛くて。3日、循環器内科がある、可能な限り近い病院をネットで検索して行って、症状を話すとすぐに検査開始、レントゲンを撮っただけで、救急車を呼ぶと先生に告げられ、ストレッチャーで運ばれ、救急病院である荻窪病院に救急車で搬送。

初めてERに入って、わくわくだぜ。あれだ、堺雅人演じるやり手の先生がチュッパチャップスしゃぶってる奴な(誰も観てない)。意識は勿論はっきりしてる。歩こうと思えば歩ける。最初の病院までは歩いて行っていたわけだし。最初はストレッチャーに乗せられる事を拒否ったくらい。わくわくしなきゃ嘘ってもんだぜ。

続く。

「続・ガキの頃から心が不全」

長いお眠り

軽度の睡眠障害が長年治らない。

睡眠障害といっても、すぐ目が覚めてしまうだけで、普通は2時間弱で目が覚める。ごくたまに4時間眠れるが、あくまでたまにだ。これでもう一度寝ようとすると、すっかり眠れなくなってしまい……となると、立派な障害なのだが、引きこもっていた時期は別に眠れないなら眠らなければいいだけで、結果として1日3回睡眠とかやっていたし、それで体調が悪くなることもなく、気にしなければ、別に障害というほどではない。

規則正しく外に出るようになった今(まあツイッターでは散々呟いているが、引きこもり生活が遂に終わってしまったのだよ)だと、久々の外仕事であることもあり、結構疲れているので、一旦くっきりはっきり目が覚めてしまっても、しばらくすれば眠れる。8時間あれば、そのうち7時間弱、少なくとも6時間は眠ていられるかな? というくらいの感じ。

長年の持病(?)な為、睡眠の質が悪いからといって、疲れが取れないということもないと思う。そもそも1年に数回しか6時間とか7時間とか続けて寝ていることがないので(たまたま今日7時間くらい続けて眠れてしまって驚いたところ)、比較対象もないし、まあ気に病まなければどうってことないよなと思う。思うんだが、実は外仕事で規則正しい生活になったら、すぐに直るだろうと思っていたことも確かで、8月の第2週から外に出るようになって、丸二ヶ月、一向に治る気配はみえず、さすがにこれは病気と認識した方がいいのかもしれぬ、特に困ったことがなくてもだ、などと考え込むことも多くなり、最近は何だか特殊で重い病気になってしまったような気分である。おれは病気だもう長くないじきに死ぬだろう。

昭和ゴジラの伝統について考える

引き続き、ゴジラ問題である。問題なのか。

駄目ゴジラ
続・駄目ゴジラ

結局、昭和ゴジラも全部観切って、ゴジラ全28作コンプしてしまった。

パンピーな自分がいくらディスろうとも、相変わらず、ギャレス・エドワーズ版「GODZILLA」に「これぞゴジラだ!」的な、いかにも偏差値低そうなツイートが流通しているので(このままだと普通に「好評」ということで終わるよな)、憤懣やるかたないというか、アホちゃいまっか感ムラムラ収まらずというか、酷評は続くよというか、「これぞゴジラ」のゴジラとは一体何なのか、特に昭和ゴジラとは一体何なのかということを考えてみた。その伝統というか共通的な特徴を抽出してみる。平成シリーズとミレニアムシリーズもいくらでも分析出来るのだが、ヒール・ゴジラに拘った1984年のリブート以降はやはり別にして、あくまで昭和シリーズに焦点を絞る。

1)ゴジラは概ね添え物。
2)後半は怪獣同士が長々だらだら戦う。
3)軍隊はいつも間抜けで無能。
4)文明批評性は刺身のツマ程度にはある。
5)放射能の危険性は有り得ないほど軽視されている。
6)反核とか難しい話は出てこない。
7)いつも駄作。

これらの特徴から外れるところがあるのは1作目と2作目くらいで、他はほぼ上記すべてが当てはまる。ここに来て、はっと気付く。そうか、そうだったのか。ギャレス版ゴジラは、上記1)〜7)のうち、4)の文明批評性がゼロに近いことのみが惜しいが、他はすべてを丁寧に踏襲しているではないか。つまり、ハリウッドが世界がひいては人類が昭和ゴジラを認めたのである。

続・駄目ゴジラ

ゴジラなんだが、好評が多いのが気にいらねえな。というわけで、補足というかネタバレ追加というか。

前エントリーでこう書いた。

ゴジラと戦う怪獣(がいることは、予告や煽りでは周到に伏せられている)のネーミングからして駄目だ。ムトーはねえだろムトーは(しかも何故かギャオスと「モンスターズ」のタコ怪獣を足して割ったような造形)。オオタチとかヤマアラシとか名付けたパシリムが如何にセンスがいいか、否、如何に今回のセンスが悪いかという話。制作に入ってる日本人、止めろよ。ここから駄目過ぎ。だからヘドラや今回みたいな駄作しか作れないんだ。

ここ、やはり細かく書かないと伝わらないというか、分かる奴だけ分かればいい度が強過ぎたようだ。

怖い映画が苦手なおれに、いつも怖い映画を薦めてくれる、とても親切な、かふかたん(@kafuka_tan)さん(無理して観るとこれが見事に全部面白いんだ。怖いけどな笑)と、たまたま、ツイッターでやり取りしたので、そのまま載せておく。

nagao_memo8 ゴジラ、こうなったら未見の60年代の奴も全部見切って、正しいアンチとして生きていくことを決意したのであった。釈がんばれ(意味不明)。しかしガキの頃、どうしようもなくヤでゴジラが嫌いになった理由である、ミニラとか観るの拷問に近い。

kafuka_tan ゴジラ観て、ブログ拝見しました!ただただ納得。映像自体は満足したんですけど、いかんせんストーリーが適当というか…不可解過ぎでビビりました(苦笑) あっ、そうそう、吹き替えで観たんですが「ムトー」じゃなくて「ムート」と呼んでましたね。

nagao_memo8 パンフだとムートーと綴られてますね(つまりわざとムトーと書いてます)。これは微妙ですけど、グレートムタ(ご存知?)のお父さんのグレートカブキは被爆者設定なんですね。ここから来てるか確信はまったくないですけど。

kafuka_tan えええ、知りませんでした!公開前から武藤みたいな名前だとは思ってましたがグレートカブキにまさかそんな裏設定があったとは。なるほどーあり得ますね。

nagao_memo8 アメリカでは表設定なんですよ。ヒバク星人で顔ボロボロだからメイクしているんです。あの時代はそれが普通だったという(苦笑)。そういう酷い設定は日本人レスラー以外にも結構あります。で、自分世代の人間ならMUTOと言われれば、当然それを連想しちゃうという。

kafuka_tan ああ米国での設定ですか!いろいろ察しました。。MUTOのネーミングの元ネタこれはほぼ間違いないのでは。しかし、て考えるともう、ますます無茶苦茶な映画な気がしてきました…その設定だった場合、向こうの人は「被爆怪獣」みたいな感覚で思ってるってことですよね。

nagao_memo8 そうそうヒバク怪獣の子供がMUTOなんです。ヤな設定でしょ? そこがブログのセンス云々に繋がってます。日本人の制作がそれ許しちゃねえ……。

kafuka_tan いやぁ…かなりアカンですね。リスペクトどころか舐めとんのかとしか思えませんねぇこれは…。

nagao_memo8 東宝が権利商売なのに、それを許して、日本人の制作もそれを許して、ビジネスだからと言って煽ってる日本の映画関係者って……。マチヤマさんあたりは絶対気付いてる筈(で多分どこでも言ってないと予想)。という、まあ左巻きな違和感が凄く強いんですよ。

kafuka_tan 公開前の町山さん、たしか、たまむすびで「今回のゴジラは大丈夫」みたいに言ってた気がするんですけど、そこは大人の事情的なもんなんでしょうねぇ。

nagao_memo8 そうそう。おれ的にはデカいトカゲの方がよほどマシという。つまりヒバク怪獣二世を日本の原発事故で家族を失ったアメリカ人の若者が核兵器で退治する話なんです。ただ、ペントコストが被爆者でも別に気になりませんよね? だからセンスの問題だと。

kafuka_tan ペントコスト…(ググって思い出しましたw)そうだパシリムの司令官も被爆者でしたもんね。なんというか、広島の反省どころか結局米国マンセー映画作っちゃったって感じですね、もうどうしようもない…酷いわぁ(泣)

nagao_memo8 だからこそ「原発問題を扱っているから」と褒める論調に、物凄く強い違和感を覚えるんです。違うだろ、二十世紀から何も変わってないだろと。

こういうことなんだよね。だからこそ、ただ駄目だったつまらなかった以上の、アンチな気持ちがムラムラと湧き上ってくるんである。あんなもん、喜んでいたら恥ずかしいとすら思うわ。まっ五十過ぎて好きでもないゴジラ映画細かく研究した挙句、怒ってるおれも随分恥ずかしいとは思うんだが。

そうそう、ここで書いたヘドラについても追加でディスを。

ゴジラ対ヘドラだけどさ、さっき色々チェックしてたら、封切り、地上波の帰ってきたウルトラマン初回の3ヶ月後なんだね。発想はどっちが先か知らんが、パクリのそしりは免れないよね。けど、帰ってきたウルトラマン初回の監督は本多猪四郎なの知らんかった。


地上波の劣化コピーを映画でやって、前衛もクソもないよな。>ゴジラ対ヘドラ。まっそんなの作った奴が今回ゴジラの制作なわけで、傑作になるわけないというか。

為念で書いておければ、「帰ってきたウルトラマン」の初回は、ヘドラとまったく同じ設定の「ザザーン」という怪獣が出てくる。

そんなわけで、傑作なのに、誰も観てない「改造人間釈対ゴジラ」をみんな観よう! ……何も繋がってません。

駄目ゴジラ

さて、ハリウッド版「GODZILLA」である。

ハリウッド新作ゴジラが評判よさげなので、何とか日本公開までに、せめて15本目(リブート前)まで観てしまおうと思っているんだが、これ結構苦行だわー。

と軽い気持ちでチェックを始めたゴジラの過去作チェックは、上記の15本の昭和ゴジラは結局8本しか観てないんだが(再見含む)、その後の平成シリーズ7本、ミレニアムシリーズ6本は全部丁寧に観てしまった。その結果は下記の通り(ツイッターにはもう少し詳細を語っているところもあるので、興味のある方はそちらへ)。

こうして、おれのゴジラを巡る、ひと夏の魂の彷徨は、釈対ゴジラが大傑作であるという新事実を発見したことを唯一の収穫として終わるのであった。……もう秋が近い。

いや季節は今まさに盛夏に突入なんだが、封切り日に観てきたわけだ「GODZILLA」。で、観た直後のツイートがこれ。

GODZILLA」。オキシジェンDもメーサー砲もスーパーXも機龍もドン・フライも出ないけど、ゴジラがアレするので、まっいっか、という感じ。……ギャレス、実はガメラの方が好きなんじゃねーの疑惑。 あと、アレの動きが監督一作目と同じなのは、ちょっとどうなの。

最初はこの辺で止めておいたんだが、辛抱堪らず、はっきり書いてしまった。

封切り初日だから、ちょっと遠慮しておこうと思ったゴジラについてだが、もういいや、はっきり書いておく。すげえ駄作。日本リスペクト、原典リスペクトはあるので、赤点ぎりぎりという表現が正しいと思う。

というわけで、今回はギャレス・エドワーズ版「GODZILLA」を酷評する。以下、徹底的にネタバレとなる。未見の方はご覚悟のほどを。結局、おれにとって出来がよく大好きなゴジラはこの3本しかないというのが結論だ。

   


では、以下本編。

まずは、ゴジラと戦う怪獣(がいることは、予告や煽りでは周到に伏せられている)のネーミングからして駄目だ。ムトーはねえだろムトーは(しかも何故かギャオスと「モンスターズ」のタコ怪獣を足して割ったような造形)。オオタチとかヤマアラシとか名付けたパシリムが如何にセンスがいいか、否、如何に今回のセンスが悪いかという話。制作に入ってる日本人、止めろよ。ここから駄目過ぎ。だからヘドラや今回みたいな駄作しか作れないんだ。

あまりに人間ドラマが薄い。過去のゴジラでも、ここまでドラマが薄いのは珍しいほど何もない。しかも徹底的に空振り。人間ドラマは何も始まらない。否、始まるんだがあっという間に序盤に終わってしまう。そこ以外は誰も動かない。米軍どこまでも無能で無活躍(さすがに指揮官バカ過ぎて苦笑)。渡辺謙の芹沢博士は、アイパッチ芹沢よりむしろ志村喬の役割を負わされ、解説しては嘆いているばかり。出番が多い割りには大した役じゃない。

けどさ、人間ドラマなんていくら薄くとも、ゴジラゴジラなんだから、それでもまだ何とかなった筈なんだが、そもそも、原水爆実験はゴジラを生み出したんじゃなく殺す為のものだったという設定からして、何だよそれ状態。というか、ここは理解の仕方によっては、ゴジラと日本への最大の冒涜と理解することさえ出来る。ここまでデタラメで無責任な原水爆実験肯定は初めてみたわ。

挙句、過去のハリウッド作品と同じように、核兵器原発の脅威を、過小に評価していて駄目に拍車がかかる。ダイハード5か(これのチェルノブイリと核の扱いはとにかく酷い)。過去ゴジラだって、コスモクリーナー的な機能が描写された奴は何本もあった。特に1984年のリブート版「ゴジラ」(廃炉を完成させてくれる便利ゴジラ)。ところが、今回は、ゴジラ自身は核とは何の関係もなく、コスモクリーナー怪獣・ムトーをやっつけに現れるだけなんだな。やっぱり橋を横から壊すハリウッド怪獣映画の伝統は踏襲してたりするが、頼むよゴジラ、ムトーがフクイチ周辺を除染するだけでなく、世界中の核廃棄物を食べきるまで倒さないでよ!

あまりに凡庸なベビーフェイス(ホントはこれをタイトルにしたかったんだが、ネタバレなんだよな)。

こうして封切り前に散々語られていた「原発を巡るシリアスなテーマ」はむしろ欠点としてあげつらうべきとなる。全然ファーストを踏襲してないじゃん。まるで逆というか。

そうして、後半まで溜めて溜めて、ようやくゴジラが口から光線を吐く。放射能という描写はされていないので光線としか表現出来ないんだが、やっとカタルシスが訪れる。溜めまくった演出のお陰で、おおーっとなる。が、後から考えると、スペシウム光線状態。最初からそれ使えよ!

どこまでも凡庸で駄目なゴジラなのであった。デブだし。少しダイエットしなさい(おれも)。

おれのツイッター

すっかりブログを更新するのを忘れていて、現時点でもう7月3日なんだが、とりあえず6月更新分ということで。ずるずる。

何か書くことあったような気がするけれど、一時期のようになんか思いついたら、ブログ用にメモしておくという習慣を失ってしまったので、何も覚えてない。しょうがないので、ネットについてでも書くか。

最近は完全にツイッターが一時期よく言われていた用語である「マイ・ポータル」になっていて、ネットにおけるすべての起点となっている。若干メルマガ通知をメーラーで受けているものの、ほとんどは大新聞さまのタダ会員用の通知だったりするので、あんまり見ていない。そもそも大新聞さまのネット記事だって、ツイッターが起点だ。

自分が呟く方、というか、時事ネタや、映画やドラマの雑感、つまりチラ裏な呟きをする為のツールという用途だけでなく、はてなアンテナRSSという、どうも性に会わずすぐに使わなくなってしまった機能を包括して使えて、つまりPCであれば、Tweenというツイッターアプリがすべて起点になる情報入手(勿論興味が出ればそこから検索したり何なりが始まるわけだ)が、自分のネットライフ(苦笑)に合っているということなんだろう。

一時期散々話題にしていた、フォロー/フォロワーなんていうことも、ほぼ、どうでもよくなっている。読みたいアカウントをいくつかのリストに分類しておいて(この分類も数年間かけて、じわじわ改善している)、あとは、時間のあるなしで、どのリストをどの程度丁寧に読むか決まっていく。

実に快適である。おれの攻撃的ツイッターは完成した。ワールドカップにすら通用しそうだ(と思ったら、予選敗退してしまうのもよくあることで)。

ゴジラにみる文明批評と演出の問題

ハリウッド版ゴジラの新作が、封切りを前にして評判がいい。

日本では何故か遅れて7月公開だが、これに合わせて日本映画専門チャンネルゴジラ全作放送をやってて、とりあえず録画するかと、しこしこ作業。あわよくば公開までに全作観ようと思ったものの、さすがにこれは辛くて断念してしまった。ファースト・ゴジラの出来のよさは改めて認識したんだが、元々自分はファーストだってそんな大したことないだろう説であって(ガキの頃と数年前の2回は観てて、今回少なくとも3回目)、あくまで他が酷いから相対的に浮かび上がっているんじゃないの説というか。

というわけで、おれは基本的にゴジラファンでも何でもないというのが前提。で、全作チェックは早々に断念したが、ポイントポイントで色々とつまんで観てて、ちょっと印象的な2本があったのでそこからの雑感。

まず、1971年・11作目「ゴジラ対ヘドラ」。



これが映画サイトでの評価が高い。監督はこれがデビュー作の坂野義光という人で、この人が今回のハリウッド版ゴジラの制作にも加わっていることや、タイトルから想像出来るような公害問題直結の文明批評的な視点が、ファースト・ゴジラの水爆実験や、新作の原発事故絡みの内容ともリンクすることもあるんだろう。またヒッピームーブメントの影響をモロ被った前衛的なカットがあることや、グロを強調した子供向けには思えない暗いツクリなども評価されているようだ。

一方、その2年後の1973年・13作目「ゴジラ対メガロ」。



こちらは60年代の東宝の粗製乱造ともいえる映画製作を支えてきた一人でもある福田純が監督。若大将シリーズなども撮っている人の作品にも係わらず、最低のゴジラ映画なんて評価もある。何といってもウルトラマン型ヒーローのジェットジャガーというのが出てきて、これが超ショボい。人間サイズのロボットなのに、突如、意思をもって巨大化してメガロと戦い始めたりする(けど弱い)。メガロを擁する地底人が、ウルトラセブンのノンマルトと設定そっくり(パクリに近い)、まったく文明批評性をもたずに単なる悪役になってるところも、低評価の原因かもしれない。

要はこの2作、ともに1970年代の前半の低予算化したゴジラながら、評価が両極端。ヘドラは高く、メガロは低い。

ところが、おれは「ゴジラ対メガロ」の方が全然面白かったんだな。

ゴジラ対ヘドラ」は、お話がちゃんと繋がってない。確かに前衛的なカットは面白くとも、その手のカット以外は積極的につまらない。まったく意味がないまま、だらだらと切れてないシーンが頻出し、いや意味なんかなくとも面白ければいいんだが、面白くもなくて、見ていてイライラする。ゴジラに、空を飛べる力を与えてしまって(笑える飛び方)偉い人に怒られた説(があちらこちらのサイトで書かれている)以前に、監督としての技量が大胆に劣ると思う。映画作品としてまるで駄目。酷い出来。

一方「ゴジラ対メガロ」。前半のきびきびした展開はどうだ。カーチェイスだって悪くない。全体のお話自体にかなり無理があるのも、地上波の戦隊モノに見慣れた目でみれば、大して気にならない。何より無駄なシーンやカットがまったくないのがいい。繋がった話がテンポよく展開していてまったくダレない。後半のゴジラと怪獣の乱闘にしたって、あれ何でさっきやられたゴジラがいきなり復活してるのとか、前後の話が繋がってない箇所が複数あるヘドラに比較して、メガロは一応筋は通っている。コミカルな演出は好き嫌いが分かれると思うが、苦手な方の自分に不快感を持たせるほどではなかった。手練れの監督が低予算に苦しみ、過去作品の使い回しをしながら、何とか完成させた珍品以外の何物でもなく、むしろ積極的な肯定的評価が必要なのではないかとすら思う(勿論、傑作とかいうレベルには達していないけど)。子門真人が主題歌を歌ってるぜ!

その辺の半可通のゴジラファンなら、ヘドラには文明批評性や前衛性があってと過剰に持ち上げていればいいが、マニアな映画ファンで、コアな作品至上主義者としては、そうはいかないんである。

大体、町山さんあたりまで原発問題を扱ってるから今回のハリウッド新作はいい的なノリがあって、そのノリは公開以降に間違いなく強くなることが予想されるのであって、そこが致命的に気に食わない。そんなモノあろうがなかろうがどうでもいいじゃないか。「パシィック・リム」を観よ。映画の出来、作品の出来というのは、もっと本質的な部分で評価されるべきで、文明批評性などとはリンクされるべきではない。

この2作と、丁度同時期の1970年代前半に書かれた筒井康隆の名エッセイに「笑いの理由」というのがある。このブログでも過去2回触れている。

「作り物だからこそ強いんだ」
「笑えない理由」

被るものがある。パロディやドタバタは風刺や批評として効いていると偉くなる的な、権威主義的な評価基準に対し、そんなモノはパロディやドタバタの完成度には何も関係ないのだと、筒井が高らかに宣言した記念碑的エッセイだ。

あれから40年経っても、世界はまるで変わってないわけだ。高々怪獣映画のゴジラだが文明批評性があるから凄いのだ的な言説は未だに語られ続け、おれはそういう意味づけの仕方と持ち上げ方が未だ嫌いだ。そんなことは作品の面白さとは、まったく関係ない。

最も、今回のハリウッド・ゴジラ原発問題とのリンクが、文明批評性というより、話題性と商業的視点から煽りに利用されるのは、しょうがないというより、王道であるとも言え、そこまでを否定するわけじゃないんだが。

それにしたって「ゴジラ対メガロ」において、人型ロボットのジェットジャガーは、倒すべき敵が現れた時、突如意志を持ち、巨大化し、ゴジラと共に敵を倒した後、その意志を失い、命令を与えないと動かないロボットに戻るわけで、なんて素敵なファンタジー、ここにもう少し説得力を乗せられたら、平成ガメラはきっと来るよ的な傑作になっていた可能性すらあることは主張しておきたい。

などと書いていたら、新作ゴジラに対する興味まで失いそうになってしまったんだが、実績ゼロに近い監督のギャレス・エドワースが抜擢されるきっかけとなったデビュー作の「モンスターズ/地球外生命体」を観てみたら、これ、かなり面白い。というか上手い(とは言え、こんなに何カ国も海外ロケした映画が、低予算を売りにしてたら、インディな邦画の人々に怒られると思う。低予算より、小規模でハプニング的な撮影方法こそ強調されてしかるべき)。

……うーむ、やっぱり新作ゴジラには、かなり期待していいんだというのが結論だったりする。



舟を漕ぐ

意識高い系(?)の人たちが、これからの時代はプログラミングは基礎教養的なことを言い出した時、おれはそれは無いと思うぜと半笑いしたクチだし、その思いは今も変わらない。そんな高度なことをやる前に、まずはファイルの概念自体をちゃんと理解した方がいいぜというか。PC系からタブレット系への置き換えが加速していき、益々、ファイルの概念を理解をしないまま、携帯の延長である便利ツールとしてのIT機器とそのOSは練れていき、教養としてのプログラミングなんて時代はやっぱり来なくて、やってくるのは、多くがファイルの概念すら理解しないままIT機器を使いこなす時代なわけだ。

だからこそと思うのは、プログラミングなんて言う前に、基礎教養として、当たり前のファイル概念を理解することと、身体的なスキルとして、キーボードを使いこなすこと(端的にいえばブラインドタッチだ)くらいは、ちゃんと身につけておくと、それがスキルとして充分意味を成す時代がもう一度やってくるのかもしれないぞ。

小保方さん騒動周辺で、一番面白かったのは、そうかお前も理系コンプレックスか、理系が分からないから照れ隠しで馬鹿にしてたのか的な人が、驚くことほど多いこと。そういう奴に限って、文系的薀蓄自慢は大好きだったりする。なあんだ、お前もかを連発だぜ。私学の文科中退のおれがさ。

舟を編むのは非常に特殊な専門職だが、せめてその使いこなし、つまり舟を漕ぐくらいは出来るようにしておけ。今のお前は漕げてない。