電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

「ステロイドよりコンタクト」補遺

いやあ、おれは気付いたね。女子総合には、宇津木妙子が足りない。あれだよあれ。あの愛と熱い思い。金メダル決定して号泣してる(ように聞こえた)、宇津木さんを、何でカメラ抜かないかなあ。一番見たいの宇津木さんじゃない? とか思いながら、おれも号泣。

あまりに、昨日のステロイド&ドーピングの話、不親切(紙プロにじゃなくここの読者に)な気がしたので、もう少し補足しておく。何故、ステロイドよりコンタクト(レンズだよ)なのか。

そういや、町山智浩id:TomoMachi)といえば、自分と同い年なんだが、水道橋博士のネット番組「博士も知らないニッポンのウラ」で、江原啓之に向けて「霊能力なんてないだろ、このデブ!」と、デブを連呼してキレているのを見た(8月中なら無料で試聴可能)。ったく、1962年生まれはロクな奴いねえなあ。博士も宮崎哲弥も同じ1962年、特に宮崎はおれと1日違いだ。

ダメだよお、他人様のことを、公衆の面前でデブとか言ったら。デブにデブと言ったら、デブは怒るんだからさあ(しらじら)。

上記のネット番組を見ても、町山智浩、その見識はお見事の一言。経済・政治系の話で宮崎に引いてないもの。が、それゆえにと言うのが正解だと思うのだが、紙プロ最新号のステロイドに関するインタビュー、こと「競技とドーピング」という狭い範囲からだけ見ると、食い足りないところがある。勿論、それはアメリカ社会・文化全般に対する目配りの広さが驚異的であり、かつテーマが「アメリカ」である為、そういう狭い範囲で、掘り下げようとしていないだけで、恐らくこの人、専門外にも関わらず、わかっていると思うんだが。

アメリカ人の場合は結局、モラルじゃなくて、ズルいか、ズルくないかっていう問題になってくるんですよね。ベン・ジョンソンがドーピングをやったときも「ズルいじゃないか!」という言い方をしたんですよね。ジョセフ・バイデンという民主党の政治家が大リーグのステロイド疑惑を追及して、ステロイドの何が悪いかというと「ズルいからだ。一生懸命、努力している人に対して、薬を打って強くなるのは卑怯だ」と言った。

恐らくここでいう「ズルい」は「unfair」だと思う。そして、この「fair」という概念、これこそが、19世紀における近代競技成立の大前提となる概念なわけだ。競技にとって、フェアとは何かが突き詰められて、初めて、競技は、近代競技/モダンスポーツとして成立したんだね。

このフェアという概念は、強引に言えば、近代になって国家が成立したアメリカの根本を支える建前/精神「でも」あるので、勿論、町山の解釈は正しいと思う。が、狭い範囲(というか、町山の横に広い視点とは、交差するような縦の視点)で競技とドーピングの問題を考えてみれば、これはアメリカだけの問題ではないことも、また明確なのだ。

21世紀の初頭の今、19/20世紀型モダンスポーツから、20/21世紀型スペクテータースポーツへの変遷の過程で、元々あったアマチュアイズムの概念が、すっぽり抜け落ちたように、モダンスポーツ成立の根本的条件であったフェアの概念も、科学の進歩と資本主義の爛熟と同時に、また変遷している。

どこまでがフェアなのか。どこからがアンフェアなのか。とどのつまり、ステロイドを含むドーピングの問題は、フェアとは何かの問題であり、それはレギュレーションの問題であり、線引きの問題である。そして、これを理解するには、近代社会の変質と、科学まで含めて、理解せねばならない。

アメリカでコミッションがステロイドについて厳しくチェックしているのは、さっきも言ったように、連邦政府自体がステロイドを一つの大きな問題としているからです。ただ、その理由が「ステロイドは危険だ」ということだけだと、安全なステロイドが発明されたとたんにステロイドはOKになってしまう。それよりも、アメリカ人の根底にある、薬をやってでも人より先に行きたい、人より有利に立ちたいという考え方が異常で、これが原因にあるかぎり問題はなくならない」と主張しています(後略)。

競技者にとっては、「安全なステロイドが発明されたとたんにステロイドはOK」には、ならない。それが、フェアであるのかという本質的な議論が、そこには依然として存在するからだ。さらに極論してしまえば、安全であろうがあるまいが、選手はやるのである。だからこそ、ドーピングの問題は「所詮いたちごっこ」ではなく、むしろ、レギュレーションの問題であると解釈すべきなのだ。

と、ここまで書いて、何故「ステロイドよりコンタクト」なのかというのが、理解出来た方も多いと思うが、この話、かなり昔から、同趣旨の文章を何回も書いているにも関わらず、ちっとも賛同者が現れないのが、実に不満だ。いや、激しく不安と言ってもいい。ひょっとすると、まさかと思うが、自分の書いていることは、まったくデタラメなのかもしれない。

……ええーっ。いくら何でもこのオチは酷い。