電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

武蔵野には川がない

集中豪雨で各地に被害が出ている折、かなり不謹慎なネタであること、その失礼の段を、最初にお断りしておく。

元々雨男だし、雨は嫌いではないんだが、ましてや、それが台風や豪雨だったりすると、やたら燃えてしまう。まさに、血沸き肉踊る。閉じ込められている感じが好きで、だからこそ、表に出たくなる。金曜の深夜というか土曜の早朝、土砂降りの中、近所の善福寺川がどのくらい増水しているか、思わず見に行ってしまった。

しかし、善福寺川は、一級河川の割には、イマイチなんだな。近所に流れる、唯一の川で、水源の善福寺公園も歩いていける距離だし、スマック止めてから時間が出来た時に、水源から下流のどこまで歩けるか、などと試してみたりしてたんだが、いくら歩いても、ちっとも川という気がしない。岸辺が単なるコンクリートでさ。

東京西部の川は、全然川らしくないのだよ。唯一といっていい、川らしい川は、多摩川くらい。同じ名前の玉川上水は、上流の方は結構いいらしいのだが、少なくとも自分が知っているのは、三鷹から井の頭公園脇を抜けていく辺りで、ここはそれなりに川辺が鬱蒼としてて、学生時代の自分のランニングコースだったりしたんだが、これも、そこを過ぎで久我山の当たりまで来てしまうと、護岸コンクリガチガチの、ただの狭いドブ川になってしまう。

自分は、小岩という下町の生まれなんだが(と言うと、川向こうの癖に下町のフリするな、あそこは東京ではなく千葉だろという声が聞こえてきそうだが)、総武線を、秋葉原から千葉方面に向かって乗ってみれば、いかに東京東部の下町に、ちゃんとした川が多いか、実感出来る。隅田川、中川・荒川放水路コンビ(この川のツクリは長年見慣れていると、別にどうってことないんだが、初めて見る人は結構びっくりするよな)、新中川(これも放水路だ)、江戸川と、千葉県に入るまで、川らしい川が続く。

大昔(というほど昔ではないが)には「ゼロメートル地帯」という言葉があって、これは標高・海抜がマイナス、つまり海面より低い土地のことを言うんだが、墨田川以東に、その地域が点在する。つまり、台風や大雨が来たら、洪水の危険性が最もある地域なのだ。

それゆえというか、荒川の下流みたいな、びっくりするほどデカい人工河川が存在するわけだ。ガキの頃、この辺りは洪水の危険があるんだ、危ないんだと育ったわりには、床下浸水くらいの規模のものすら、実は記憶がない。早くからの治水事業がウマくいっているんだね。逆に、東京で、水が溢れるのは、目黒川だったり神田川だったり、どちらかと言えば西側のドブ側もどきの川だ。

18の時に実家を出て、調布・三鷹・吉祥寺ときて、現在の西荻窪にいたるまで、いわゆる三多摩地区をウロウロしていて、おれは泪橋を逆に渡ったんだなどと、人には言うもの、その割にはいい歳して貧乏しているので、実は、川向こうの貧民窟こそが、黄金の果実が実る約束の地であって、つまり、青い鳥はやっぱり自宅にいたのでしたというか、逆に渡ったつもりの泪橋、不幸の側に渡ってしまったんじゃないかと思う時がある。

ブルース・スプリングスティーンのアルバムに「リパー」というのがあって、往時の佐野元春もタイトル曲をパクっていて、そのパクリの方も含めて、自分の青春の曲だ(恥ずかしい表現)。何かの折につけ、思い出す時、浮かぶのは、江戸川の土手。

バッタが遊んでいるんだよ。