電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

おれはもう死んでいる

例の携帯のクソ連載「kamipro事件簿」、「ジョシカク絶体絶命」の次は「パンクラスも絶体絶命!?」だって。口あんぐり。ヤケになっているとしか思えん。

いきなり、パンクラスには取材断られましたなんて話も書いていることからして、紙プロとしては、元々パンクラスとは関係よくないし、別に今後どうなってもいいや的な、ジョシカクの時もそうだった、投げやりなゴシップ記事。どうせ、あっと驚くような新事実は出てこないだろうし、ネット情報の後追いを事情通(笑)の証言で補足して、あとは、おざなりにパンクラスの歴史を追っかけた、浅い記事になるのが見えているんだが、これいったい高崎計三の持ち込みなのか紙プロ側の企画なのか、こんなことばかり書いていて、この人、業界でやっていけるのか心配になってしまう。

だって、こういう記事を、記名で書いていたら(巻頭記事とかとは逆で「kamipro事件簿」なのに編集部名義でないのもアレだが)、もう夕刊紙系かムック系の暴露本仕事しかないような。まあ、そっちの方がよっぽど専門誌より稿料いいらしいけどさ。

紙メディア(上記は紙ではないが)に限らず、色々なもんが終わっていることは、最近、竹熊健太郎も書いている。

いろいろもう死んでいる
いろいろもう死んでいる(雑誌編)

「お前はもう死んでいる」ではありませんが、この国は一度、死んでいることを自覚するべきではないでしょうか。日本国ばかりじゃありません。俺がいる出版界も、おそらく放送界も、新聞界も「もう死んでいる」んです。死んでいるのに気がついてないだけだと思うんです。

そうなんだよな。ほとんどのモノが終わっているのだ。女子格とか総合とかも。

だから、きっと、また始めればいいのだ。いや、始めようとしている人間は、恐らくいっぱいいて。けれど、ほとんどの人間はその途中で討死してしまう。そうやって、いくつもの屍を乗り越えて、少しずつ時代は動いていく。当たり前。