責任こそがプロの証
というわけで、小田原へのピクニックは、勿論、全日本アマ修斗に出場した茂木康子選手の応援が目的。初メインアリーナは広くて明るくて、いい感じだった。
やりました、やりました、茂木さん、堂々全国大会三連覇で、悲願(?)のプロ認定。素晴らしい。
この日の大会のプログラムをかねた「修斗ニュース」のコラムで、会場で久々に会ったら、さわやかにご挨拶して頂けた、全然陰湿などではない、若林さんがこんなことを書いている。
「プロ」というのは、「それを行って生活に充分な報酬を得られる人」という意味ではありません。言葉の意味としての「プロ(=プロフェッショナル)」は専門家であり、世の中では専門家として社会に対していく人間のことをプロと呼ぶに過ぎません。
「一円でも貰えばプロ」という考え方も間違ってはいないと思うが、基本的には例えギャラが発生しなくてもプロはプロであると私は考えます。専門家として世の中に責任が取れる人。それこそがプロであり、そういう姿勢でなければプロとして世の中を渡っていくことなど到底できないでしょう。もちろん「食えてこそプロ」という気概を持つことは実に素晴らしい了見だと思います。しかし「食えなきゃプロじゃない」なんて主張するのは、野暮で大間抜けな素人考えでしかないのです。
含蓄にとんだ文章だと思う。「専門家として世の中に責任が取れる人」こそがプロというのは、至言に近いとすら思う。勿論、この文章が、この日プロ昇格を認定されたシューター達に向けられたものであることを考えれば、突っ込みどころがないではない。が、ここで、それを突っ込むのは、それこそ「野暮で大間抜け」というものだろう。
専門家として世の中に責任が取れる人。その意味で、この日「修斗のプロ」となることを認定された茂木康子は、女子柔術家・女子総合格闘家、そして何より女子格闘技のエバンジェリストとして、既に(というより、とっくに)プロであった。それは、柔術と総合の試合結果のみで言えば、ここ数年の彼女の戦績が、トップクラスというには、正直なところ物足りないことと、まったく矛盾しない。
彼女ほどの、既にプロとしての立場を得ながら、今なおアマ修斗とクラスB認定に拘り続けることが出来る潔さを、プロというのだ。自分はそう考える。
これからも、応援していこうと思う。いや、させてくださいって感じ。
うむ、おれも「悪口のプロ」として、がんばる。