電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

崖の上のヴァルキリー

「VALKYRIE」、ヴァルキリーという名前を発表した時、読み方・日本語での綴り方が混乱した。今やメモ8を先生呼ばわりなさってくださっている、クソ紙プロ様(昨日発売の最新号の久保親分のインタビュー参照。オレハ、バカニサレテルノダ)は、「ワルキリー」とか書いてた。まあ間違いではない。

ヴァルキリーの由来やら何やらは、慧舟會女子ブログで、ロクサン・モダフェリ選手が書いているのでそちら参照だし、加えて、オフィシャルブログでも触れるつもりなんだが、ここでは、ごく私的なことと、「崖の上のポニョ」との関連について。

「VALKYRIE」は、ドイツ語では「Walkure」、読みは「ワルキューレ」。ワーグナーのアレであり、自分ぐらい歳のサブカル親父だと、野田秀樹が全盛期の頃の「夢の遊民社」がやったアレであり、プロレスファンであるなら、藤原組長の入場曲であるアレだ。ヴァルキリーというと、「マクロス」を連想する親父も多いようだが、そっち系だと、おれ的には「オウガバトル」だ。つまり、ゲームのキャラというかジョブであり(その後も多くのゲームで使われている)、つまり、する人にはオタク臭もするネーミング。勿論、わざとそれを選んでいる。多義的というか、色々解釈出来ていい感じというか。

戦乙女(?)、ヴァルキリーは何人もいて、その長女(?)は「ブリュンヒルデ」という。そして、宮崎駿の最新作(とわざわざ書くのも躊躇われるくらい大ヒット作だが)、「崖の上のポニョ」のポニョの本名は「ブリュンヒルデ」という。

ヴァルキリーの最初のリリースで、下記コピーを書いた(オフィシャルブログにも掲示してある)。

混迷の度合いを増す、日本の総合格闘技の世界
その末端で立ちすくむ、女子の総合格闘技
神経症と不安の時代に立ち向かう為
今ためらわずに女子を金網の中に放り込む

ヴァルキリーという読みとかその由来ほどではないが、ごくごく一部で、話題にされた。これは、宮崎駿が「崖の上のポニョ」のパンフで自ら書いている「監督企画意図」という文章の結びのバロディーであるのだ。

(前略)
少年と少女、愛と責任、海と生命、これ等初源に属するものをためらわずに描いて、神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。

これを読み、実際に「生まれてきてよかった。」なんてコピーをつけられている「崖の上のポニョ」を見て、自分は強烈な違和感を覚えた。この映画、宮崎駿自身は「神経症と不安の時代に立ち向かおう」としているのかもしれないが、少なくとも、見た人間が「神経症と不安の時代に立ち向か」う気になる映画ではないと思うのだ。

そんな思いを抱えながらも忙しくなってしまったこともあり、あまり深く考える気にならず、どうも「崖の上のポニョ」に対する自分の評価が、定まらない。が、やっぱり気になって、最近、2回目を見てきた。そして結論つけた。やはり「崖の上のポニョ」は、「もののけ姫」以降の下降線の途中にある駄作であると。が、少なくとも「もののけ姫」以降には、まったくなかった(特に前作の「ハウルの動く城」に)、強烈なフック感が、自分に対してあったことも確かで。

なので、ヴァルキリーから離れて、「崖の上のポニョ」について書く。まあ最後には、ヴァルキリーの話に戻すつもりなんだが、戻らないかも。

続く。