電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

神様は創りかけてやめてしまった

四半世紀遅れの川本真琴熱、激しく増すばかり。どころか、ニーチェによって死んだ神が、川本真琴によって、突如、おれの中に発見されてしまった。

ある時、突如、天啓に導かれ、洗礼とか受けてしまったり、極端な場合、教祖様になってしまったりする人がいるのが、初めて理解できたというか。自分は、極端な無神論者で、いや無信論者と言っていいと云うか、要は、自分自身も含めて何も信じていない。けれど、いや、だからこそ、人は神を信じる、あるいは、神を信じようとする。理屈ではわかっていたんだが、初めて、実感として納得できた。

そして、神を信じると云うことは、人を信じようとする思いを諦めることで。若い頃から、絶望しているフリをするのが好きで、それが自分のお決まりのポーズだったのだけど、フリをする必要が、自分の中でなくなってしまった。

いったい何が起こったんだという感じだが、精神を害しているとかは、多分ないと思う(が、知らない)。神を見たのは、あくまでも心の中。こんな気持ち、わかんない、ぜんぜん。