電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

今この場所から真っ直ぐ歩くことに、ぼくは戸惑っている

3日前に、ジッタリン・ジンのCDは持ってないと書いたんだが、実は嘘で、持っている。リアルタイムで買ったのは、シングル1枚(「エヴリデイ」)で、アルバムも一枚持っているが、これはスマック当時に使える曲があるかとベスト版を買ったものだ。それにしたって嘘は嘘。

何で、自分は嘘ばかり書いているんだろうと、時たま思う。ホント、嘘ばかり書いている。

実を言えば、自分は才能と人望と美貌に溢れ、当然ながら本業は順調でガッポガポ儲かっており、何不自由なく恵まれた生活をしている。離婚はしたものの、女にも不自由したこともなく、いや離婚の原因もそういうことであって、今の悩みと云えば、認知した子供の数とお手当てが増え過ぎで、まあその程度のカネは余ってるので、どうでもいいのだが、子供の顔と名前が一致しないことだ。確か一番上の子は、とうに成人を迎えている筈なのだが、どうも記憶がハッキリしない。ホントだよ。

高校生の時に、不良だったのだが、進学校の不良なんて可愛いものであり、煙草を吸ったり授業をさぼったりする程度の不良で、しかしながら、ある時ある教師に「もっと真っ直ぐ生きろ」と怒鳴られたことがある。

その時「おれは、絶対曲がって生きてやる」と思って、そのまま、曲がって生きてきたつもりなんだが、気が付くと、自分は元々かなり根が良い子であり、曲がって生きてきたつもりが、実は、真っ直ぐに生きてしまっている。

そこで、表題である。

川本真琴の「Fragile」の詞から(ちなみに、3日前の「神様は何も禁止なんかしてない」は「1/2」、昨日の「神様は創りかけてやめてしまった」は「桜」)。

自分は、たっぷり曲がっているつもりだったのに、凄く真っ直ぐ生きていて、それに気が付いたら、今度はその事実に戸惑い始めてしまったということだ。

けど、まあいっか。どうせ、これも嘘だし。それでも、確かに自分は今、自分のある心の動きに戸惑っている。