電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

ゼロ系ひかりは250キロ出ない

やはり新年にWOWOWでやっていた、佐藤純彌の「新幹線大爆破」を見た。自分は、見事なくらい、70〜80年代の邦画は見ていないので、これも初見。まあチャチなところはチャチなんだが、充分面白かった。何より、後に「スピード」にもパクられた、「ある速度以下に落ちると爆発する」というメインのアイディアが秀逸だし、パニック映画全盛であった当事の洋画の、群像劇のエッセンスを上手く取り入れていて(「ポセイドン・アドベンチャーとか「タワーリング・インフェルノ」だね)、2時間半の長丁場がダレずに見ることが出来る。主犯を演じる高倉健と、阻止する側の宇津井健の対比が、特にいい。大傑作とまでは、いかないものの、誰にでも勧めたくなる(のでこうして書く)出来。

何より強調しておきたいのは、恐らく若い頃見ていても感じなかっただろう時代性を、強く感じたことだ。若い頃だったらチャチで蛇足にしか思えなかっただろう、犯人グループの人間ドラマが、かなり重苦しく説得力を持って迫ってくる。この映画、1975年の作品なので、70年安保の後。この人間ドラマがあることで、あの時代の閉塞感が、よく伝わってくる仕組みになっている。

あの頃の閉塞感は、昨年あたりから強く出てきた、まさに今の閉塞感と、よく似ていると思う。

でだ。実は、自分は今が悪いと思ってなくて。こういう時代性こそが、何のジャンルでもいい、とにかく傑作を生む。だがら、自分はこの閉塞感が嫌いではない。ワクワクしてると言ってもいい。勿論、不景気は苦しいものの。人生、作品至上主義。

オマケだが、劇中で登場人物の商社マンの親父が、爆破直前の絶望的な状況の新幹線の中で、最近お役ゴメンになった新幹線初号機(なんて言い方はしないが)を歌った、自分ら世代は誰でも知ってる「走れ超特急」を口ずさむところがある。この曲自体は、この映画が撮られた70年代ではなく、新幹線開通直後の歌だ(ったと思う)し、そこに意味があるようなシーン、つまり商社マンが、昔のガキの頃の新幹線への憧れをこの歌に託す的な扱いになっている。

♪びゅわーん びゅわーん はしる 青いひかりの超特急
 時速250キロ 飛んでくようだな はしる
 びゅわーん びゅわーん びゅわーん はしる

劇中では、上記のように歌っていて、あれ違うだろと思った。「青いひかりのボンネット」だろと思った。が、これは自分の記憶違いで、正しくはこうらしい。

♪びゅわーん びゅわーん はしる 青いひかりの超特急
 時速250キロ すべるようだな はしる
 びゅわーん びゅわーん びゅわーん はしる

 びゅわーん びゅわーん はしる 丸いひかりのボンネット
 時速250キロ 飛んでくようだな はしる
 びゅわーん びゅわーん びゅわーん はしる

つまり、劇中は途中を省略して1番と2番を繋げている。確かに「すべるようだな」より「飛んでくようだな」の方が印象的だね。自分は子供だったので「ボンネット」というカタカナ言葉が新鮮で、そこがきっとお気に入りだったんだろう。

時代の閉塞感の話、明日も続く。