電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

村上春樹が、吉行淳之介のおっぱいタッチテクが凄いことを褒めていた件

ふるきちさん(id:fullkichi1964)さんとこ経由で、村上春樹が何やらカッコいいことを言っていることを知った。

昨日は龍さん記念日、そして今日、春樹さんの歴史的講演に触れる。
http://d.hatena.ne.jp/fullkichi1964/20090217
エルサレム賞村上春樹さん「ここに来ること選んだ」
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20090216-OYT1T00333.htm
村上春樹さん:ガザ過剰攻撃に苦言 エルサレム賞授賞式で
http://mainichi.jp/enta/art/news/20090216k0000e030029000c.html

確かに、このスピーチは「くぅーカッコいい」という感じではあるんだが、作家の先生も偉くなると色々大変だよなとも思う。大江健三郎もそうだったが、権威の側に上り詰めてしまうと、社会的責任みたいなモノを気にせざるを得ないわけで。可哀想なのは、大江みたいに、昔、若気の至りで書き飛ばしたことを、後から延々突っ込まれたりすること。その若気の至りで書き飛ばしたことが一番面白いのにさ。小説家なんて、元々奇人変人がなるものであって、社会的責任から自由であるからこそ面白いモノを書くわけで。

これは何度も書いてるが、大江健三郎がホントに面白いのは、主人公が女装してケツの穴にキュウリを突っ込んで夜這いに行く話を書いてた頃であり、いいとこ「個人的な体験」までだろう。その意味では、村上春樹と云えば、ビーチボーイズが聴こえてきてしまう自分のような世代の人間にとっては、4作目の「世界の終りと、ハードボイルド・ワンダーランド」までだとは思う。

勿論、大江も村上春樹も、方法論的に研ぎ澄まされていくことで、それ以降に、より評価されるべき作品を書いているとは思う。思うんだが、やっぱり、同時代の作家には、同時代的に共感したいんだよな。

逆に言えば、大江も村上春樹も、自分は自分と同時代の作家として認識しているということだ。そうやって認識出来るのは、恐らく自分の親の世代まであり、自分は両親が昭和一桁の後半で、筒井康隆が昭和9年、大江は10年、つまり上限が、そのあたりなのだ。

一方、村上春樹は、一回り上で、益々同時代感が強まる作家であり、何と言ってもその登場をリアルタイムに目撃しているのは大きい。デビュー作が本屋に平積みされた感触を覚えているもん(万引き)。

で、タイトルの話は、「村上朝日堂」か何かのエッセイだったと思うが、あれはいい話だった。昔の作家は、銀座のお姉ちゃんのおっぱいを、如何に上手く触ることが出来るかがステータスだったのである。ちなみに、吉行淳之介までいくと、自分には同時代感がない。「夕暮れまで」は箱入り本で万引きしにくかった(が、した)。

いやいやいや、念の為書いておきますが、自分はいい子だったので、ホントは万引きなんかしたことありませんからね。悪ぶってそう書いているだけですからね。と書いておかないと、自分みたいな一般人でも、最近は怒られてしまうからな。

自分が好きな村上春樹の本を3作あげておく。一作目は自分が最高傑作だと思う上記の「世界の終りと〜」。二作目は紀行文の「遠い太鼓」。この人の紀行文は面白いんだ。自分もミコノス島まで行っちゃったくらい。三作目はあまり評価してない「ダンス・ダンス・ダンス」「ノルウェイの森」以降の小説では、一番好きな短めの長編の「スプートニクの恋人」。

そうそう、村上春樹先生には、是非ともリチャード・ブローティガンを訳して欲しいー