電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

下から目線の本質的な不幸

久々にネットな話題。

自分が2ちゃんに書くようになったキッカケは(現在は書いていませんので念の為)、凄く単純な話で、自分を話題にしたスレが立ったので、そこに反論に出ていったことが最初で、そこである程度ウケてしまい、継続的に自分のスレが立つようになり、引っ込みがつかなくなったということだ。勿論、その前提となるのは、自分で遊んでみないと、そのもの(つまりネット全体、狭義では2ちゃんねる)を理解出来ないという意識があった。

以下は、2ちゃんに限らず、SNSのコミュニティなどの対話系のシステムについての一般論。

自分が書かなくなっても、未だに、格闘技板に限らず、ネットウォッチ系のスレは好きでよく見てるんだが、それは何でかといえば、そこにある「下から目線」が面白いからだ。決してそれは多数派ではないし、自分などは昔から「上から目線」と叩かれることが多いのだけど、読み手としての自分は、嫉妬と僻みを基本感情とする「下から目線」が読んでいて楽しい。何故かといえば、それは多くの場合、ネットにしかない感情を基本とするからだ。

一般的に紙メディアはすべて「上から目線」であって、ネット創世記にあった掲示板でのやり取りもすべて、「上から目線」と「上から目線」の対立であり、議論が中心だった。加えて、ブログというモノローグを基本とするメディアは、どうしても「上から目線」になりがちだ(コメント欄の問題はとりあえずは触れない)。

最も、何が「上から目線」なのかといえば、それは多くの場合、「ですます調」を使わないことと、何かを断言するか否かという問題でしかなかったりする。さらに最も顕著なのは、自分が好きなモノを批判された場合に、突如、その批判者を「上から目線」と感じるということ。それまではそんなことすら思ってもみなかったのに、自分の好きなモノだったり立場を批判されると、あたかも遥か昔からそう思っていたかのように、「何を偉そうに」と思い始めるということだ。

「下から目線」な書き手の典型的なパターンというかストラテジーは、「そういうことは、どこかよそでやって頂けないでしょうか」と、慇懃無礼に、かつ粘着性をもって、相手から機会と場を奪ってしまうことで、否、それは「下から目線」を持つ者のすべてではないのだが、自分が興味があるのは、そういう書き手のことであり、結果として、ある程度は荒れないと、どこも読者と参加者は維持出来ず(要は盛り上がらない)、つまり、彼らは自分の場を狭める行為を自ら繰り返していて、しかも、それに意識的でないばかりか、そうやって「上から目線」な書き手を追い出した挙句、明らかに「勝った」と思っているフシが垣間見え、だからこそ、その感情をウォッチしているのが楽しいとも言える。ところが、そういう書き手は、ほとんどの場合、匿名性に隠れてしまう為、私は君が君であることを認識できない。メディア、いや作品として、本質的な不幸だと思う。