電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

比喩の上手さが文章の上手さというけれど

デブと出不精は別物であるように、貧乏と貧乏症は違う。いやこの比喩はおかしいが。勿論、貧乏症なんて言葉は曖昧な言葉であって、自分なりの定義なんだが。

30代の半ばで、比較的経済力に余裕が出た(つまり貧乏でなくなった)時も、自分は貧乏症だった。自分の語彙では、貧乏症とケチはまったく別の概念で、むしろ反語に近い場合すらある。経済的に余裕がない場合、ケチと貧乏症は、比較的似たような事象になって現れることが多いと思うが、余裕がある場合は、逆な事象になるのだ。ケチというのは、カネを持っていようがいまいがケチだが、貧乏症というのは、カネを持っていると、むしろ浪費となるという話。

自分はちょっとした外食をする時、例えば定食屋みたいな場所(比較的リーズナブルな店の代表例としてあげてます)でも、オプションの1品追加をしたくなってしまう。貧乏な時のコレは、見栄であるともいえるが、カネを持っている人間がこれをやると、貧乏症の典型例という解釈。何となく豪華にしたいんだね。が、ホントに豪華にしたいなら、安いところなんかに行かなければいいのだ。そういう話。

使いかけの目薬が捨てられない。これも、貧乏症の典型例だ。老眼の話は散々書いているが、その影響もあり、目薬常備になって久しいんだが、高くても千円ちょっと(ほとんどのモノは数百円)にも関わらず、イマイチな場合でも、買い替えられない。同じ症状に効く別の薬を併用するのはよくないという知識はあって(いや別の症状であっても薬の併用は注意が必要だ)、まずは、これを使い切ってからとか思ってしまう。

とは言え、目の調子の悪さが本格的なので、清水の舞台から飛び降りるつもりで(と思ってしまうのが貧乏症)、新しい目薬、しかもハイエンド商品(とか言っても千円程度)を買ってみた。「涙より粘性があるので、効果時間が持続」なんてのがウリで、そのウリに嘘はなかったのだが、結果として、涙で目がかすんで見えない状態が持続してしまい、さすと、しばらく益々モノが見えない。

清水の舞台から飛び降りたら、普通死ぬもんな。そんなもんだよ世の中。貧乏症をこじらせて貧乏になってしまったというか。また比喩がおかしい。