電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

仕事をすると夜が明ける

何事にも、こだわってクオリティーを上げることは大切だ。仮にギャラやら何やら条件は悪くとも、徹底的にこだわる。受け手には伝わらないかもしれないような些細な部分に、執拗にこだわる。些細な部分過ぎて、ホントに受け手には伝わらないんだが、こだわり続けることによって、その思いが、クリエイター自身を成長させる。けれど、いつも気がつくと夜は明けている。

自分は、クリエイターを名乗ったことは一度もないが、徹底的に器用貧乏で、ちょっとしたDTPやら、映像や音響の編集なら、とてもプロレベルではないものの、こなしてしまう。「雑用のプロ」を自称する所以。けどさあ、どんどん歳をとって、こだわりより面倒くささが先に立ってしまうジャンルも多く。

今は、音の編集が、一番楽しい。自分がやってるレベルの編集だと、センス一発の側面が強く、あまりスキルがなくても出来るというのもある。映像はスキルがなさ過ぎで、ごく簡単なモノならやる気がするが、それ以上はもう元気がない。映像の前提となるコピーやシナリオなら、凝れる元気もあるんだが。DTP系やデザインは、自分のいるレベルが低過ぎることがわかっていて、これ以上こだわっても大してレベルが上がらないので、最初から時間優先だ。要は工数と費用削減の為にのみ、自分の労力を使う。

やはり、一番こだわりがあるのは文章だ。かと言って、格闘技に関する文章は、もう飽きちゃったんだよねえ。昔、高島学に「メモ8の文章はいつも長い、井田さんと双璧だ、プロとは制約のある中でやってこそプロ」みたいなこと言われて、おれはプロのモノ書きであったことは一度もねえ、そんなこと自慢されてもと思ったものの、実は、観戦記ネットで速報をやっていた頃に、徹底して時間的・量的制約がある中で、その試合がどういうモノであったか、そして、その興行全体がどういうモノであったのか、それを伝えるにはどうしたらいいか、しかも、笑いまでのせて、という試みを徹底してやっていたことがある。数年にわたってね。はっきり言って自慢するが、あの頃の自分のアベレージより、アベレージが高い書き手を、プロを含めて、未だ見たことがない。勿論、商用サイトではないので、罵倒・暴言ありというのは大きかったんだが。

加えて、スマック時代から、サイトやパンフやらに載せる煽りは延々書いてきた。これはオフィシャルとして無記名の文章だが、つまり、制約の中で文章を書くことなど、延々やってきたのだ。パンフの文章なんかは、商用系速報サイトに延々パクられ続け、いや失礼、利用し続けて頂いたので、プロ側の方々には心当たりがある方も多いとは思う。つまり、格闘技系の文章は、記名でもやった匿名でもやった、ブログで長文も延々書いた、やりたいことは延々やってしまったのだ。

だから、飽きた。飽きたんだが、何故だか未だに夜が明ける。ただ、だからこそ、自分みたいな、なんちゃってではなく、本物のクリエイターと仕事が出来るのかもとは思う。