電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

やって出る損、やらずに出る不名誉

久々に連載の枠にいれてみましょうかね。プロモーターはやっぱり飛ぶなあということで。

「ヒョードルvs.ジョシュ消滅のアフリクションが開催中止」(スポナビ)

アフリクション、ジョシュがドラッグテストをクリア出来なかった話から、わずか数日で、一気に中止まで突っ走った。ここ数日はヒョードルの相手探しの噂が色々駆け巡っていたわけだが、それが全部がふっ飛ぶビジネス判断が上の方で出てしまったということで、逆に言うと、最近はよくマスコミの俎上に載っていたアテンシオという人は、恐らくそこの判断に、ある程度噛んではいたろうが、決定権はもってない筈だ。マッチメイカーなら大会は開催したいに決まっている。

格闘技に限らず、こういうケースは多い。カネを出す人は、もっと上にいて、結局その人(といえる個人であるかは別として)の判断で、すべてがふっ飛ぶと。

例えば、アフリションの1回目2回目が、黒字か、赤であってもまだ先が見渡せる赤の範囲であるか、もしくは赤であろうが、アフリクションがこの先、まだまだ続けていきますよということならば、恐らくここは赤字覚悟で粘ってみるという判断が出る可能性は高く。そうじゃないから、こうなる。つまり、開催して出る損より、開催しないで出る損の額が低いなら、開催しない方がいいと判断されるということは、もう続きはないと考えるべきだろうということ。

いやいや、これは極東の超マイナーなプロモーターの矮小な発想であって、欧米は考え方がドライだから、名誉や信頼の問題じゃない、赤字を最小限に抑えて、また最初から建て直しだという可能性がゼロだとは思わない。が、まあ普通はないよね。

例えば、国内であっても、カネを出している人と、そのカネで表に立って動いている人が異なっているところは、格闘技に限らず多い。そういう形態は、採算が取れてない場合、こういう危険性を孕んでいるということ。

で、こういう話の場合、導かれるのは「泣くのはいつも準備していた選手たち」的な結論で、それはわからなくはない。わからなくはないんだけど、自分はそういう結論にはならない。こういう事態に至る可能性が少ないUFCというメジャーな存在もあり、第2の団体になりつつあるストライクフォースがあり、そういう状況でアフリクションを選んだのは、当の選手たち(とそのマネージメント)であるわけで。当然のことながら、プロモーションの信頼度を測って取引するのは選手サイドの仕事。だからこそ、プロモーションサイドは、選手の信頼を勝ち得る運営を続けていく必要がある。ここで妙に選手にばかり同情してもしょうがなく(少なくともアフリクションに名前を連ねるレベルの選手であるなら)、当たり前にビジネス的に判断すべき問題なのではあるまいか。