電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

だから戦争はなくならない

毎日新聞【酒井法子容疑者:「清純派」がなぜ?】

大手新聞が建前報道であるのは、もうしょうがないとしても、今更「なぜ?」もクソもないだろうとは思う。清純派女優が、プライベートも清純派であるなどとは誰も思ってないし(そもそも清純派って何だよ)、このタイトルをつけた記者にしたって、そんなことわかっていて、こういうタイトルをつけるわけだ。致命的なメジャー・マスコミの勘違いの構造が、昔から出来ていて、結果として、既存ジャーナリズムはジャーナリズムとしての意味を益々失っていくわけだが、かと言って、早速色々なところで、酒井法子が、それ系のパーティーでマンモスノリピーだったとか、父ちゃんそっち系の人だったとか、そういう情報が片っ端から出回るわけで、では、それがジャーナリズムなのかといえば、それもまた違うわけだ(が、あまりの大量さに、その量からある種の推測をすることは可能だ)。

日本人にとって、8月は戦争について語る月だと思う。

戦争は残された者が可哀想だからしてはイケナイ。未だそういう言い方を多くみかけるが、その言い方では、戦争を根本的に否定できるわけはないのも当然なんだが、これと似たノリで、犯罪は、残された者に辛い思いをさせるからしてはイケナイ的な物言いも当然あって、これまた正論なんだが、だから犯罪はしてはいけないんだよというのは、感情論の域は出ず、本質論ではない。

「可哀想なのりぴー」から、「酒井法子はパーティーでラリパッパ」「お父ちゃんはそっち系」に変化する、極端な手のひら返しの背景となる人心の変化にこそ、戦争の本質的な原因があることは明白だ。つまり、みんな、人の不幸は蜜の味。人間とはそういう生き物だとしか言いようがない。

勿論、こうやって自分もネタにすることで、そういう美しくない人心の変化に加担しているわけだ。だけれど、誰が何を言おうと、人の不幸を喜ぶことは、卑しい行為であり、蜜を味わうその時々に、せめてそれを自省する気持ちくらいはもっていたいと思う。