電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

人が死なないと物語は生まれない

「ワンピース」の現シリーズが絶好調で面白過ぎることは何回か書いているが、いやホントちょっとおかしいよというぐらいの盛り上がり。先週あたりなど、初めて2ちゃんの該当板に行って、ネタバレを探してしまった。少年ジャンプの発売が待ちきれなかったのだ。いやそのくらい面白い。

さて、盛り上がりまくる現シリーズだが、そのひとつ前「スリラーバーク編」というのがあって、これはイマイチだった。あくまでこのマンガとしてはイマイチということで、単行本も揃った現在、通しで読んでみると、小ネタあり、伏線あり、全然悪くないんだが。ここで、登場し仲間となったガイコツ剣士で音楽家のブルックというのがいて、この人物(?)の過去回想シーンで、オマージュを捧げていたのが、岡本喜八の「血と砂」という映画。

一応、戦争映画だ。だから今日書く。

タイロン・パワー主演で同名の映画(内容無関係)があるとか、タイトルが内容を表してないとかの表面上の理由に加えて、喜八にしては珍しい、さほどヒネリのない青春映画(童貞喪失モノともいえる)である為、あまり再評価されることもない一編なのだが、これが実は超傑作だと思うのだよ。

ヒネリがないなどと書いてしまったが、簡単に背景を書いておけば、充分ヒネられている。初期の喜八が得意とした満州戦争モノ(当時の東宝の戦争モノは、御殿場あたりの富士山麓で撮影してて、画面の色がみんな一緒だったりする)で、ここに、童貞揃いのブラスバンド部が丸ごと学徒動員されて行くという。つまり、ブラスバンド部なので、音楽映画にもなっている。で、そこに待ち構えている海千山千の戦士達が、三船敏郎仲代達矢佐藤允だったりするわけだ。怪優・伊藤雄之助も印象的な役で出てくる。童貞喪失の対象になる、中国人の従軍慰安婦には、団令子。

この女優は短い期間で太ったり痩せたりするんだが、それが役作りの為ではなく、多分精神的に不安定なだけにしか見えないところが、また魅力的。

中国人の従軍慰安婦をメインに扱うというだけで、現在ではプッシュし難いんだろう。が、この映画における団令子は、自分の知る限りでは、最も魅力的だ。「売春婦/母性」という男の目から見たある種ステロタイプではあるけれど、だからこそ美しい役どころを好演している。喜八演出もそれを強調するような撮り方をする。

戦争映画であるから、戦争があって、青春映画であるから、童貞喪失を巡ってひと悶着があって、やがて映画は、ブラスバンド部であるがゆえの音楽的な戦争を行う。ここがあり得ないくらい美しい。涙もろい自分などは、誇張なくラスト10分ずっと号泣。

「ワンピース」のブルックは、剣士でありながら音楽家という設定であって、しかもバンマスなのだね。だから、この映画の印象的なラストをオマージュしている。同じく「ワンピース」の黒髭海賊団が、テリー・ギリアムの「バロン」をオマージュしているという話を、以前書いたけど、このセンスのよさが、尾田栄一郎とういうマンガ家の最大の魅力だと思う。

戦争は人が死ぬ。だから、戦争はない方がいい。きっとそうだ。戦争の悲劇を絶対繰り返してはいけない、憲法9条絶対遵守と叫ぶヒステリックに叫ぶ人達がいてもいいと思う。だからと言って、戦争がないと、人が死なないと、面白い物語は生まれない。戦争は、あればあったでいいんじゃないかという立場も、またあっていい。戦争は、いつも隣町でやって欲しい。