電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

史実はどこまで改変していいか

大河ドラマ天地人」、五大老じゃなくて、いきなり「六大老」が出来てしまった。これはあんまりなのではないか。NHKの大河ドラマは、史実と違うとすぐに怒られがちなのは確かで、そのくらいはいいじゃないのと思うことも多いんだが、小学校の教科書にも出てくる五大老が、実は六大老として始まった(しかも都合よく上杉が最初から入っている)なんてのは、いくら何でもあんまりだと思う。

例えば、語呂暗記で有名な、1192年の鎌倉幕府の設立は「幕府が出来たのは、1192年なんだけど、実質1185年の守護・地頭の設置が、鎌倉体制のスタートなんじゃないの」的なニュアンスで、自分は歴史を教わった。歴史というのは、解釈や最新の学説で更新されていくべきもので、自分達が教わったことが、絶対的に正しいわけではないのは当たり前なのだ。そういや、自分がガキの頃は、さも史実であるかのように教科書に書かれていた、南京大虐殺は、今はどう扱われているんだろう。自分が大人になる頃はまだ「南京大虐殺は無かった」とか言ったら、キチガイか右翼扱いされたもんだ。

五大老にしても、幼心(というほどガキでもなかった気もするが)、何で毛利は2人入っているんだと不思議に思ったもので、システム的に脆弱であったことは確かなんだろうけど、かと言って「五大老」という有名な固有名詞をドラマで破壊してしまうのは、如何なものかと思うのだ。上杉中心のドラマであるなら、小早川隆景死後に上杉景勝が入るところこそが、目玉となるべき話であって。つまり、実は上杉(直江兼続)は力があったので、最初から、五大老じゃなくて六大老だったんですよと描くのは、筆力のない、歴史に理解のない、間抜けな解釈であるとしか思えないという話。

今年の大河はこういう舐めた解釈が多いからダメなんだよねえ。それにしても、伊達政宗役の松田龍平は肩幅が無さ過ぎで、和服が似合わない。肩にパッド入れればいいのに。色気は充分あるんだから。何というか、和服の立ち姿の良し悪しを判断出来る人間すら、誰もいないんじゃないかと勘ぐってしまう。