電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

「ググれカス」的世界観

メディア・リテラシーとかITリテラシーという言葉は当たり前に使われるようになったが、少なくとも、これほど入手できる情報量は増えているのに、一般人のメディア・リテラシーが上がったという気が全然しない。どこかに隠された真実があるわけではなく、いくらでもその辺に情報は転がっているのに。

結局、情報や知識なんてものはただの情報であり知識であって、それを消化する能力は、情報や知識を得る方法とは、まったく別に存在するという当たり前の事実のみが、そこにあるだけなんだろう。

PC通信時代から、ネットでは「教えてくん」は嫌われるというのはあって、それでも「教えてくん」はいなくならないのであって、逆にいえば「教えてあげるくん」が、個人としてもシステムとしても、何時の世にも現れるからであって、ところが場の色がマニア色が強ければ強くなるほど、「教えてあげないよくん」の登場比率が上がり、ググれカス的色合いが強くなる傾向がある。

メディア・リテラシーなんて、結局上がらないのであれば、あるジャンルについて「教えてくん」的世界観と「ググれカス」的世界観を持つメディアが、別個に共存するほどの広がりを、まずそのジャンル自体が持たなければならず、ところが、それが上手くいかないのであれば、さてどっちを先を作るのかという話になって、いや、それが双方自然発生するほどの強さを持たねば、ジャンルなんてモノは形成出来ないのだと言われてしまえば、それはまたその通りであるという、情けない結論になってしまうのであった。

と、色々深読み出来ることを書いて、また結論ははっきりとせずに放り出す。最近こんなのばっかだな。