電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

実力に神は宿る(んだったらいいのにな)

前にやっていたブログでは、散々亀田三兄弟のことを書いていた記憶があるんだが、最近はネタにし難い。ネタにして面白い対象でなくなってしまったのだ。一生懸命さが表に出てきて、好感度がそこそこアップ、いや嫌われ度がダウンしてきたという感じで。

と思ったら、今回の大毅戦、親父が散々ジャッジに文句を言って、また嫌われ度をアップしようとしている。やはり直感だけで築き上げた人は、一度外し始めるとダメなのかもなあ。興毅や大毅は、若いだけあって空気を読むチカラが充分あるというのに。あの親父、おれより歳下なんだが、そんなにアタマ硬くなっちゃってという感じ。せっかく大毅が評価が上げたのに、ここで水注してどうすんのというか。

今回は、報道具合も面白かった。何故かスポニチがキツい書き方をしていたが、それでも以前のヒステリックさに比較すれば、穏やかなもんだ。デイリーは相変わらず提灯系だが、それ以外は適度な距離感で。つまり、真っ当な普通のボクサーとして生きていくという選択が、亀田兄弟に生まれつつあるわけだ。真っ当なボクサーとなれば、元々知名度はあるわけで、そりゃあ絶頂期に比べれば、見入りは少なく、大毅あたりじゃ純粋なファイトマネーじゃ生活カツカつなレベルだとは思うし(世界チャンプになれてないのだからボクシング的には常識的)、だからこそ、興毅が必死に営業とかしているのが伝わるから、偉いなあとなる。

亀田兄弟の露出方法と対極にあるというか、真っ当にボクシングを続けて積み上げてきたものだけで、長谷川穂積が、じわじわと露出が増えて、知名度を上げている(らしい)。ボクシングファン的にみれば、既に「数十年に一度の偉大なチャンピオン」である彼が今更という気はするものの、現在のボクシングを巡る状況で、ここまで偉大な戦績を残せば、そうなって来るということ。それを考えれば、総合だって、ローカル団体のチャンプになりましたイコール、色々なマスコミに露出が増えて大人気という状況を得ることは至難の業。長谷川穂積は、9回も防衛しているんだもの。しかも、圧倒的なパフォーマンスを見せ続けて。

ベルトの価値というのは、やはりそういうことではないのか。勿論、主催をする側としては、ベルトを取りました、いきなりマスコミの注目集まって、こずかい稼ぎの仕事がざくざく入ってウハウハという状況まで引き上げたい。が、なかなかそうはいかない。あらゆる競技がそういう状況を目指しているのに、パイは益々小さくなっているわけで。必要なのは、政治なのかカネなのか。いや、一番大事なのは、やっぱり選手の実力であって欲しい。