電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

そろそろ女子総合のミカタ、変えてみませんか?

ジュエルスとヴァルキリーの話。ルールの話は、わかってみれば、前回書いた「差別化」という話と直結しているんだな。

ジュエルスは「MMAじゃなくて“女子格闘技”というジャンルを作」ろうとしているから(なのかどうかは、佐伯さん、いやジャン斉藤編集長が代弁しているだけなので、絶対とは言わないけれど)、パウンドなし。ヴァルキリーは「“女子格闘技”というジャンルではなく、ただのMMAとして成立させよ」うとしているから、パウンドは有りで、男子と同じルール。

今のジュエルスを、観客として観ていると、2002年から2003年くらいのスマックガールに感触がよく似ているなあと感じる。あの頃は、激しくオチャラケが多かったものの、2002年には、50kgオーバーとアンダー(というザックリした階級を初めて作って)前者で辻結花、後者でしなしさとこが優勝した「JAPAN CUP」というトーナメントをやっているし、2003年にはアマを開始したりグラップリングのみでプロ興行をやってみたりと、色々試行錯誤を始めていて、興行性のみが突出していたところから、競技性とのバランスが、そこそこ取れ始めた時期でもあった。マスコミに対する打ち出し方も、現在のジュエルスとよく似ていると思う。

最も、あの頃は、マスコミに対する打ち出しというより、勝手にマスコミ(但し専門マスコミ以外)が群がって来てくれたという感じであり、つまりブレイク前夜という意味では、異様な注目度と熱気はあったものの、それをブームに持ち上げるだけの詰めの一歩が、結局足りなかったのだ。自分は2003年の最初の興行から、スタッフとして参加していたが、まだ単なるお手伝いという感じであり、だからこそ、引いて観ることが出来ていたともいえる時期だった。

これはブームが来てしまうかもしれない、ブレイクしてしまうかもしれない。本気でそう思っていた自分がやり始めた仕事が、そうなった時に、続けられる仕組みを作っておくことだった。マスコミ対策を含め、ブレイクさせる作業は、篠さんがやる。なので、底辺を固めておこう。そんなことを考えて、徐々に深入りすることになったのだ。

さて、その後色々あって、自分は2007年の9月大会を最後にスマックを離れることになるわけだが、その辺の経緯は、このあたりを参照して頂くとして、そんな自分が、もう一度、女子総合の運営側に参加するにあたって、あれをもう一度やり直す気になるかといえば、それはちょっと無理だった。

あの頃のスマックの方法論を、より意識的に研ぎ澄まし、丁寧に慎重にやり直そうとしているのがジュエルス、その先の違う時点に進もうとしているのが、ヴァルキリー。そう言っていいのではないか。勿論、これ自分がヴァルキリーの人間であるからこそ、そう思うのであって、ジュエルスの側から見たら、まったく別の風景が見えているのかもしれない。ご期待する向きもいるようなので、多少強い言葉を使っておけば、ジュエルスから見たら、ヴァルキリーのやろうとしていることは「時期尚早」だろうし、ヴァルキリーの側から見ればジュエルスは「時計の針を巻き戻しているだけ」ということになる。

多分、次回で完結します。

で、そのヴァルキリーなんだが、まったく偶然にも、明後日が大会だったりします。そんなヴァルキリー03情報はこちら。勿論、当日券あります。パウンドが当たり前のようにある、女子総合の今が、ここにあります。

さらに、前回の「kamipro」に続き、嘘笑いなんて浮かべたことがないゴン格・松山編集長に、あれやってこれやってと色々お願いするも、結局、逃げられてしまったのだが、心優しい藁谷さんが相手してくれて、似たようなことを、しかし違う言葉で、ゴン格最新号で話しています。あれっ。今日のブログのタイトルにそっくりじゃないか。勿論これも偶然です。

ゴング格闘技 12 月号目次です。