電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

ネットには最早議論は存在しない

これはいい意味もあるのかもしれないけれど、最近はこのブログ、コメント欄で盛り上がることはまずなく。勿論、同意してくれるコメント、応援してくれるコメントの存在はうれしいに決まっているんだが、やはりそうじゃなくて、もう少し絡んできてくれるアホな奴がいると面白くなる。昨日は少しだけ、それ系のコメントがついたのでニヤニヤしてしまった。失礼さ加減も含めて。いきなり「メモ8さんよ」だぜ。うれしくなっちゃう。

つまり、このブログ、元々その傾向はあるものの、わずか数千人の層には、自分の立場や書いている内容がある程度認識されてしまい、いい意味では「なるほどな」、悪い意味でも「なるほどな」で読み飛ばされている感じを受ける。

真っ当なことを、真っ当に書き過ぎているのかなあ。もっといい加減に。もっと適当に。そうやって、突っ込みどころを増やしていかないと、コメントしたくなるブログにはならないのかもしれない。かと言って、比較的多い誤字脱字をみつければ、やはり丁寧に直してしまうし、わざと間違ったことを書いて、コメントを誘う気にもならない。つまり、ちょっと探せば、どこにでもいる、普通のウルサガタ。そんな感じ。それじゃいかんのだ、多分。あっちこっちに噛み付いて、もっとガンガン行かないと。いやいや、こんなことを書きながらも、実は、あまりにアホな突っ込みには、さすがにウンザリで、わざと難解に多義的に書いてしまうところもある。アホが反応できないように。実際できねえし。あははは。

大昔(って言っても10年前)、掲示板全盛だった頃は、どこに行っても、議論が出来た。あれだけいた議論したがりな連中は、一体どこにいってしまったのかと思うぐらいに、最近は議論したがる連中が少ないし、議論がなされている場も少ない。ウェブは2.0に進化して、益々双方向になった筈なのに、昔からネットにいた自分のような人間には、その機会がどんどん失われ、一方的に文句垂れ流しているだけみたいになってきた。ウェブは2.0になったんじゃなく、0.5に戻ったような感じすらある。

逆にいえば、議論したがる人間なんて、ハナから大していなかったんじゃないかということも言えて。昔、議論に見えたものは、実は議論でもなんでもなく、それで得られるカタルシスは、言いっ放し型の一方通行でも、充分得られるということなのかも。自分は昔から、議論は弱いと言っていたが、それは簡単に譲るからだ。議論の面白さの本質は、異なるテーゼが、ぶつかり合った結果、止揚されることであり、相手を言い負かすことではない(と自分は思う)。だからこそ、勝つことだけが目的になるようなディベート型の議論は、やってて面白くないし、やりたいとも思わない。

ところが、やっぱり相手を罵倒したい、一方的に叩いて、いい気分になりたいという人は多く、そういう人にしてみれば、議論という形態を使わずとも、ネットでは好きに吠えられるようになった。例えば、よくみかけるのが、叩かれ始めると、ブログを閉める人。人を叩くのは大好きだが、人に叩かれるのはイヤなんだな。まあ、気持ちは分らなくもないが、だったら最初から言わなきゃいいのに。お前にゃ2ちゃんがお似合いだ。

自分だって、好んで叩かれていたわけではないのだが、言いたいことを言えば、言われるのも当たり前という、至極常識的な道理だとしか思えないことが、この世の中では当たり前ではないということに気付いて、唖然とすることがある。つまり、世界は、言いたいことだけ言って、自分は何も言われたくないという人間で満ちている。なので、メモ8さんの孤独と絶望は深まる一方だ。