電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

スプーンで味噌汁

定食屋などでカレーライスを食べる際、水を入れたコップにスプーンをさして出てくるようなレトロな食堂は、さすがに今では多くないとは思う。が、カレーに味噌汁という、冷静に考えると不気味な組み合わせは、未だ多くの店で健在だ。この組み合わせ、意外といける、否、あまりに日常的な組み合わせであって疑問にすら感じない人も多いのかもしれない。

ところが、カレーライスは、さすがに箸では食べないのであって、蕎麦屋カレー丼を頼んでもスプーンが出てくるものであって、例えば、付け合せのお新香でも出てくれば、それを箸を食べる為に、箸を割ることに躊躇いはないものの、はたして味噌汁の為だけに、箸を割っていいものなのか、自分は真剣に考え込まざるを得ない。

昨今常識であるエコな観点から、木材資源を無駄に使いたくない、などと思っているのではないのだ。根が貧乏性なので、ここで、箸を、味噌汁の為だけに使うのは、もったいないと本能が命じるのである。重要なのは、為だけにというところであって、つまり、味噌汁をスプーンで食べることへの本質的な疑問が、為だけという行為によって、激しく露呈し、その激しさに眩んでしまった自分の軟な精神は、ままには耐えきれない。

果たして、いいんだろうか。味噌汁は箸で食すべきものではないのか。礼儀作法としても、決してよろしくないだろう。勿論、定食屋でカレーライスを食す、ほとんどの場合、自分はスウェットとかジャージ姿であって、そんなカッコで礼儀も作法もない。しかしながら、衣服その他の儀礼と、食文化の儀礼とは、著しく別物である。

ところが、実際、スプーンで味噌汁を食してみると、これが、食べやすいんだ。本来、液状のモノを箸で食すこと自体が間違っているのではないか。大体、おれは、そこそこ器用なので、ラーメンなども、左手でレンゲ、右手に箸という、明らかに平成なスタイルが定着してしまい、最後に丼にクチをつけて、スープをグビグビとやるという習慣すら失われつつある。レンゲで充分いける。いけるとなれば、丼を抱え込んで、クチを直接つける行為自体が、何やら不潔な行為に思われてくるから不思議だ。ここでも、日本の食文化に対する本質的な疑問が、冬の日の朝日のように赫奕と立ち昇る。