電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

私がiPhoneを使わない3つの理由

ここ数日、意味不明なギャグばかり書いていたら、何か異様に盛り下がりつつあるので(アクセスが)、しょうがない、こういう話題でも書くか。自分が「iPhone」を使わない3つの理由。かなり特殊な環境にあることは、最初から断っておく。


1.日本語入力の問題

長らく(という表現が当るかは微妙だが)、「iPhone」を「見」してきたのは、勿論この問題が一番大きく。自分は日本語入力に拘りがあり過ぎて。「iPhone」、情報取得ツールとしては文句ないし、アプリも増えてお遊びツールとしもいける。が、それでも肝心の情報発信ツール、文章作成ツールとしてどうなのか。もう、ここは日本語入力のしやすさにかかっていて。

例のフリック入力(知らない人は各自調査)。ネットに異様に早く打てる人の動画も転がっているし、まあ大体どの程度早く打てるかと、練習にどの程度の手間がかかるかも、予想出来る。が、未だ、携帯のあのキーが苦手でポチポチ打っている自分にとって(それでも昔より随分早く打てるようにはなった)、これ以上、練習科目を増やしてもなあという気がして。

通常のキーボードを使っての日本語入力は、自分は決して遅くない(いやかなり早い方だと思う)。去年、長年の使っていたローマ字入力を捨てて、親指シフトに切り替え、速度はさらに上がっている。が、例えばこのパソコンを使う時や、この端末を使う時などは、当然ローマ字入力に戻すわけであって、こっちも忘れるわけにもいかない。それに加えて、フリック入力までマスターしなくちゃいかんのか。そんなことする位なら、さらに親指シフトの精度を上げたい。ただでさえ、未だ親指シフトを使っていても、ごく稀にローマ字入力が出てきちゃうことがあるくらいで、まだまだ精度が悪いのだ(それでも充分、親指シフトの方が早いんだが)、何と言っても、ローマ字入力はもう25年使った方法であって、心底神経に染み込んでいて、しかもプログラム仕事をする時は、未だアルファベットを打つわけで、そういう事情もあって、時たま出てきちゃうんである。だから、もう少し時間と練習が欲しい。もう何ヶ月も練習ソフトは立ち上げてないものの、常々やらなくちゃと思っているくらいで。

2.出先で音楽を聴かない

これは昔からそうなんだが、外出・移動の最中に音楽を聴くのが苦手で。耳をふさぐのが、どうしてもイヤなんである。MP3プレーヤーの時代になって、ウォークマンブランドも復活したが、元祖ウォークマンの時代から、ディスクマン、MDプレーヤーと、一通り買うことは買うわけだ。が、3日で使わなくなる。いやまあ、実は初代ウォークマンの頃から、自分のそういう好み(というか何というかは)わかっていて、ディスクマンもMDプレーヤーも、いざとなったら、むしろ自宅でステレオに繋げばいいや的に買ったものだったんだが。

つまり、ネット関連で音楽の入手やら何やらするにしても、何テラもあるパソコンのHDDで、のんびりゆったりやって、そのまま聴くよって話で。そこから、MP3プレイヤーに落とそうという発想が必要ないのだ。

3.通信速度が物足りない

どうもソフトバンクの3G(で括っていいのかな?)の通信速度に芳しい話は聞かない。つまり、自分のドコモ携帯や、イーモバ端末以上のモノは期待できないわけで。「Wi-Fi」があるじゃないかとか言われても、ただでさえ、無線LANが嫌いなのに加えて、家にいるならパソコン使うもん、意味ねえよ。出先でも落ち着いて仕事するなら、パソコン持っていくわけだし。その為のノートPC歴、15年超えなわけだし。


以上より、結局、移動中に使う携帯端末としては、ドコモ携帯(と補完的に使っている上記イーモバ端末)で充分という結論しか出ず。例えば、両手を使ったキーボード入力より、早い日本語入力方法が発明されたとかなら、また別なんだが、そんなことは将来的にもありえる筈もなく、仮に、ポメラサイズで、ブルートゥース接続かなんかの「iPhone」用小型キーボードが出たって、いやそんなもん持ち歩くなら、パソコン持ち歩きます、で終わりであって。

それでも、「iPhone」に、自分の心を揺るがすのものがあるとするなら、元来のモバイル好きという性質。オアシスポケットに憧れたあの頃から、それはまったく変わってないのだ。小さい精密機械大好き! という。

が、しかしだ。昔からのマカー的エバンジェリスト的、あの匂いが、マックほどではないにせよ、わずかに漂うだけで、そういう自分のモバイル好きな心は、何故か完封されてしまう。どうしてもイヤなんだよ、あの匂い。と、3つの理由には入れてないんだが、実はこれが一番大きい理由かもしれない。おれの天邪鬼な心は、マックとマック的なモノを、依然として、消極的に拒否するのである。だから、がんばれ、アンドロイド! 今のところ、使う予定ないけど。

しかし「Windows moblie」には、もう上がり目はないのかしらん。こっちはまだ「cs」と言われていた頃から使っていたのだ。ザウルスも消えた、パームも消えた、その中で「Windows」との親和性だけを武器に生き残ったこのOS、そろそろホントに終わりなのか(組み込みの分野でどうなの? この辺知らない)。そしてこのOSの終わりは、緩やかな「Windows」自体の終わりをも意味するのか。ここは、ビル・ゲイツのビッグ・カンバックが期待されるところ(とか云う問題じゃないような気もするが)。