電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

シンケンジャーとワンピース劇場版にみるドラマツルギー発生の誤差

シンケンジャー、突如、コペルニクス的転回をみせていてビックリなわけだが、勿論これはいい意味であって、想定している年齢層にどこまで伝わっているのか、観てるこっちが心配になるくらいな深みを得つつある。いや、意外とこういうドラマは、子供にでも伝わるものだと思うものの。

主人公が、本物の殿ではなく影武者でしたというストーリーは、単にストーリーでしかないものの、そこまで充分に描いてきたものがあるから、放っておいても、深みのあるドラマツルギーが発生してくるわけだ。

ドラマツルギーなんて言葉、一体使うの何年ぶりかという感じなのだが、そんなことを思ったのは、昨日ようやくワンピースの劇場版「STRONG WORLD」を観てきて、これが残念なことにイマイチだったからだ。大ヒットという情報はガンガン流れていたのに、大傑作だとかその手の話はあまり伝わってこなく、まあそんなもんなんだろうと思ってはいたが、尾田栄一郎制作総指揮ということに、過剰な期待をし過ぎていたのかもしれない。充分楽しめるレベルにはなっていたんだが。

ナウシカラピュタ、加えて、キングコングへのオマージュなども散見したが、それがイマイチ、洒落てなく感じてしまうところが辛い。恐らく、捕らわれた仲間を救出するというストーリー自体が、原作で散々使い古されたテーマであるということが一番大きいのかもしれない。

「メルヴィユ」というシキが浮かした空島の住民達の物語も、原作の空島編の落穂拾い的なストーリーでしかなく、それにしたって、もう少し前半で丁寧に描いていれば、最後のアレがもっと効いたと思うと惜しいところなんだが、感動の物語より動物たちのバトルという、尾田栄一郎が語っている目指した趣旨からズレてしまうんだろう、それにしたって、もう少しコクを増やす、逸話が欲しかったところ。

加えて、ルフィ達が、新技を使わないし、作中で成長しないから、バトルにもコクが出ていない。ここは尾田栄一郎の計算違いなのではないか。シンプルなストーリーでいいから、ワクワクさせたいというなら、主人公達以外のバトルを丁寧に描きこむことではなく、主人公達の成長譚、そこから派生する新技・必殺技、そういうモノで勝負すべきであったと思うんだが、原作の進行過程が重要な箇所に差し掛かっているからこそ、その原作の設定に、原作者もスタップも遠慮してしまっている感じで。

映画として傑作にしたいのであるならば、やはり、ある程度、原作を陵辱する部分は必要であった筈で。それがなかった。シンケンジャーのタケルは実は影武者でしたというストーリーは、自作前半の陵辱であるわけだ。だからこそ、面白いドラマを生んでいる。

そうは言っても、大増刷したらしい、例のゼロ巻、自分が観たシネコンですら未だ配っていて、もらったそれを眺めて、自分のような40も半ばを過ぎたオヤジがニヤニヤしているんだから、だからこそ、こういう文句を書くたくなってしまうくらいに、ワンピースはすべてのマンガに対して、別格の域に到達していると考えていることは付記しておく。本来こういう構造分析をちゃんとやるなら、シンケンジャーの劇場版と比較すべきなんだが、テレビがどんなに面白くとも、さすがに劇場版は観る気すらないもの。