電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

心を込めて手でフォロー

さて久々にこの連載の続き。

全体的なアクセス数の底上げという意味では、目指したほどではないとしても、微増状態が続き、比較的順調な推移をみせているこのブログ、1月に入って、水道橋博士に御紹介頂き、アクセスが爆発的に増えた状態で、叩き込むように面白いことを書ければ、それが一番だったわけだし、何より、女子総合の魅力・基本編みたいなことを、ここで改めて書ければ、それが当初から唯一最重要の目的であって、何とかせねばと思うものの、出来なかったものはしょうがない、もう一度、いや何度でもやり直しするしかない。

何故なら、何度でもやり直せる状況を、自分は必死こいて作ろうとしているのであって、どんなに忙しくとも、ここ3ヶ月ほど、それだけは何とか続けているのだ。いやナニってそれは、ツイッターのフォロー/フォロワーの拡大であって、1月に入って自分の日常は、さらにドン詰り状態(体調不良なども含めて)を増し、悲惨な状況となって、かなり、速度は鈍っているものの、それでも1回あたり2時間かそこらの作業なので、その2時間を、3日に1回出来るか、1週間に1回しか出来ないか、そういうレベルの話だ。

繰返し書いていることだが、そこそこ名の通った企業や組織が、顧客サービスとして、サイトを公開する場合なら、アクセス数には、それほどムキになる必要はない。が、何故SEOという言葉が、これほど一般化したのかといえば、それはネットを広報・宣伝の手段と考えた場合、どんなに美しく優れたサイトを構築しても、それだけではまるで意味などないのだ、アクセス数の少ない広報・宣伝サイトなど、極論してしまえば、存在価値すらないのだという事実が存在しているからだ。つまり検索などという遠回りの行為に、サイト全体のアクセス数を頼らざるを得ないという事実が、俄然として存在しているからだ。

どうも、未だ理解して頂けない向きも多いようだが、それではアクセスはどうやって作ればいいのか。とにかく自分は、アクセスの起点が必要だと考えていて、そして、このブログ自体をその起点にしようとしているわけだ。が、ただブログのエントリーを増やしているだけでは、アクセスなど増えはしない。

現状を簡単に説明しておけば、1月23日現在、自分のツイッターのフォロワーは3,700人を超えたところであり、この数字をどう評価すべきなのかという話になる。格闘技の世界のアイコンたるべき谷川さんが、5千のところ、4千弱なら大したモノという考え方も出来るだろうし、んなもん、自分からフォローしてフォロワー増やして、まるで意味ないだろという意見も当然あるだろう。

コストに対するパフォーマンスは、ある程度時間をかけて測定しなければわからないことなので、最終的な結果・結論はまだいい。が、どれだけ文句を言われようと、ツイッターのフォロワーを増やすという作業は、自分においては超ローコストであるという事実、結果の4千弱という事実を、多くの人は理解出来ないし、しようともしない。まあ嘲っていればよい。自分は失敗を恐れていないし、恥をかくことも厭わない。

ところが問題があるとするならば、自分からフォローするという行為も、そろそろこの位の数になってくると、コスト(ずはり時間と手間だね)が馬鹿にならなくなってくる。多くの企業アカウントだと、機械フォロー(という言い方をしてみるか)を使っているところが多いようだ。自分も腐っても技術者であるので、機械フォローに移行できなくもない。機械フォローなどと言っても、何のことだか理解できない人も多いと思うが、そのあたりはまたいつか説明する(かもしれない)。

そうでなくとも、一度に数百人を新規フォローをするようになれば、その内容をイチイチ吟味する余裕などあるわけもなく、機械フォローであろうが、手動フォローであろうが大差ないんじゃないの? と言われれば、実際その通りだとも思う。ましてや「フォローありがとうございます」などと言われると、何やら若干の疾しさを覚えることも多く、だからこそ、心を込めて手動フォローをするという一線だけば、しばらくは維持してみようと思っているのだ。勿論、そのこと自体に合理的な意味などなく、自分のメンタリティーへの言い訳の要素が強いのだが。