電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

タイムマシンにお願い

もう20年近く前、会社を辞めてフリーになってから、眠れぬ夜などに、時たま先が見えない不安に苛まれることがあったものだが、組織のトップになったり、会社を作ったり、そういう不安定な状況にどんどん自分を持っていってしまい、夜な夜な不安は増すばかり……となりそうなものの、いい加減慣れてしまい、第一、普段から疲れきっていて、眠れぬ夜などないのだから、不安になる夜もないのだよ。

この不景気下、借金はあっても蓄えなどなく、病気になったら面倒を見てくれるような家族もなく、冷静に考えれば、不安にならなくちゃいかん状況ではあるわけだ。明日をも知らぬ人生というか。鈍感と言っていいほど楽観的なだけかもしれない。

が、最近、昔のことをよく思い出すようになった。あったかもしれない、自分のもうひとつの人生。あの時あれをやっていたら。あの曲がり角を左ではなく右に曲がっていたら。これまでだったら、そういうことを思ったとしても、生まれ変わっても同じことをやるんだと強がっていたものだったが。

歳を取った。きっとそういうことなんだろう。

だからと言って、何がどうなるものでもない。そもそも疲れて寝ちゃうわけだし。だったら、何でこんなこと書いているんだという話なんだが、そうやって溜まっていく心の澱を、たまには掃除しなくちゃいけないわけで、要は単なる愚痴であり、愚痴だからこそ、せめて美しい文章に仕上げたいと思い、普段はおれの文章読みやがれぐらいに思っていても、こういう文章になれば、読んで頂くという意識になり、その為丁寧に推敲してみるんだが、残念なことに、最近ようやく気付いたんだが、自分の文章は推敲したって大したことがないのであって、さらに絶望的な気分になるのである。出口なし。