電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

やっぱり龍馬伝イマイチじゃね?

と、タイトルのみで終わらせてもいいんだが。

例えば、原田泰造は「篤姫」の大久保利通の時も不安がられていたが、やってみたらまったく問題なかったように、今回の近藤勇でもまったく問題ないというか、いい味出していると思うし、あの時期に、岡田以蔵を、近藤・土方・沖田の3人で追い回し、そこに龍馬が遭遇するという風景が如何に荒唐無稽であろうと、そんなことはドラマなんだから別にいいのだ。

やはり問題は、山内容堂後藤象二郎、扮する近藤正臣青木崇高が好演しているにも関わらず、単に悪い奴にしかみえず、ちっとも魅力的でないことであり、勿論、以蔵の佐藤“電王”健も悪くないし、武市の大森南朋もカリスマ性こそ欠けるものの、そんなに悪くないのに、あの魅力のなさはなんだ。

結論としては、福田靖が書いている人物造型が浅いとしか言いようがないんだな。武市と以蔵が同じくらいアホに見えてどうするというか。その証拠に、人物造型など必要もない端役のナンパーマンや有薗はあんなに魅力的ではないか。まあこの二人は同世代舞台上がりなので、ついつい甘く見てしまうというのもあるが。

大河ドラマの基本は、多くの人が持つ歴史上の偉人に対してのイメージと、新たな人物造型との勝負であって、この勝負に致命的に負けている。どんなに絵が美しくとも、それではダメだ。以蔵が捕らえられるシーンの和傘を使った絵作りなど、ホントに素晴らしかったんだが。

というわけで、まったくワクワク感がなくなってしまい、楽しみは、寺田屋で、真木よう子がどこまで脱ぐかくらいであって、いやいや、そこでは脱がずに肩すかししておいて、その後の薩摩旅行の温泉シーンで脱ぎまくりなんてのも歓迎。どうせ脚本に期待できないなら、そういう方向で、強烈に冒険して頂きたい。