電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

戦は士気でやるもんだ

「戦は士気でやるもんだ」というのは、佳境真っ最中、44巻が出たばかりの「海皇紀」の主人公、ファン・ガンマ・ビゼンの科白だが、ホントにそうだよなあと思う。前回大会の時は、タレントを揃えながら、チームがまとまってないというのが、傍目・素人目からもわかって、観ているこちらの、ついつい期待してしまうという気持ちを拒絶するかのようなチームだった。

今回は、レギュラーを外れた中村俊輔あたりが腐ってないのが、地上派の画面からも感じられ(ホントのところはそうじゃないんだろうけど、少なくともそれを表に出さない節度がある)、その結果、わずか3試合で、素人目にもチームが成長しているサマが観てとれることもあり、実に気持ちいい。

が、しかしだよ。今回の中村俊輔的な美学を、我々のリアルに援用すると、それはちょっと問題がある。組織の為の自己犠牲は、いとも簡単に経営者サイドの都合のいいように解釈され、喧伝される。勿論、組織論としては、それで正解なのだ。参加者に組織へ殉じるモチベーションを与えること、それこそが「戦は士気でやるもんだ」的、最強の組織論。

サッカーチームも、企業や組織の経営も、同じ。とも言えるし、違うとも言える。どこで線を引くかは、参加者次第だ。急上昇する組織は、例えそれが一時的なモノであったとしても、組織に殉じるモチベーションを提供できていることが多い。そしてそれは、決して個人としてはいい事ばかりではないのだ。役割分担という名の下に、どこまで自己犠牲に殉じる才能を揃えられるか。歴史とは、きっと埋もれた才能の集積だ。