電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

激甚引篭り

菅さんが、どこかを視察して激甚災害法を適用するか云々やっているが、自分はいつも書いている通り、ほとんどテレビを見ないし、紙の新聞はもう15年以上取ってないので、このニュースもラジオで聞いた。

ニュースの内容ではなく「激甚」という言葉に引っかかる。「ゲキジンサイガイ」は、例の「非実在青少年」と違って、耳からの情報だけで「激甚」の字面が浮かんだし(と書くのは正確には嘘だ、だってPCの日本語入力がなかったら恐らくこの漢字を書けない。イメージとして何となく曖昧に浮かんだというのが正しい)、意味もすんなり理解できた。かと言って、「ゲキジンサイガイ」と言われて、何やら引っかかりを覚えたことも事実で、つまり、耳慣れないだけではなく、こうやって書いてみても、激甚災害なんて目慣れない(?)。

正確な日本語でいえば、当然これは「激甚な災害」であって、これを法律条文表記の際、対象の災害の定義付けに「激甚災害」と「な」を省いで、「激甚」という形容動詞と、「災害」という名詞を組み合わせて、「激甚災害」という造語にしたわけだ。この仕組みは「非実在青少年」と同じである。これだって「実在していない青少年」「非実在な青少年」である。

言葉自体とその対象とするモノが直結しない(からこそ随分話題になった)「非実在青少年」はちょっと例外的だとしても、この手の法律用語、センスが悪いとか文句が付くことは多いが、日本語を乱しているという観点からの批評は、寡聞してみかけない。探せばあるとも思うが、つまり大きい声になっていない。

実際「激甚」を選んだこと自体は慎重に行われていると思う。センス悪いよとか言うのなら、自分で考えてみればいい。自分も考えてみたが、似たような出来上がりならすぐ浮かぶものの、明らかにこっちの方がいいというのは浮かばなかった。例えば「深刻災害」「重大災害」。ここで「激甚」という言葉の選択が優れているのは、「深刻」とか「重大」だと、何が深刻なのか重大なのか、それが問われてしまうのに対し「激甚」ということは、只管、災害それ自体の程度だけを表そうとしているわけだ。つまり、この言葉を指し示す意味は条文なり判例が決める、他の意味が発生することを廃しましょうという意図が明確にみえる選択であるという。

が、明らかに日本語を乱している。こういう造語を勝手に作ってしまう官僚とか法律専門家は、ら抜き言葉とか非難できませんよ?

簡単に結論を書いてしまえば、「激甚な災害」というような言葉をカッコ付きで括って、そのまま使えばいいのだ。少なくとも日本語は乱さない。何より条文作成上の手間と工数がまったく違う筈である。つまり「非実在青少年」「激甚災害」という造語作成、それ相応に時間は食う筈だということ。頭使って時間使って、挙句、センス悪いだなんだと言われて、それならカッコ使った方がマシじゃね? という話。

勿論、自分は私学の文科中退であり、法律の知識・常識に、激甚不安が存在している激甚引篭りであるので、識者の方々のご意見をお待ちする激甚心境。