電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

良い準備、嫌な時代

いい準備をする。こういう言い方をするアスリートをよく見かける。勝利者インタビューかなんかで、次戦への抱負を訊かれて「いい準備をして臨みたいですね」とやるわけだ。サッカーの選手が言い始めたような気もするが(多分それは自分がたまたま最初に耳にしたのがサッカーの選手というだけだとは思うが)、最近では、野球の選手も言うし、格闘技の選手にも普通に使われている。

昔の野球選手とかだと、朝まで銀座で飲んでいて、ロクロク寝ないでそのまま球場に行ってホームランをかっ飛ばし、試合で汗かいて酒を抜いて、また銀座に出勤といういうような伝説というか、豪快さんが山ほどいたわけで、そういういい加減さが許された時代が、確かにあった。

今の時代、仮に結果を出し続けても、そんな生活を送っていることがバレたら、怒られてしまう。叩かれてしまう。必然的に、みんな良い子になる。すべてのスポーツで、実質プロとアマの境はなくなり、それは、プロという言葉が、専業で食えているということを意味しなくなったということでもあり、アマチュアとはレベルの低さの象徴でしかなくなったということでもある。

けっ、練習なんて凡庸な人間がやるものだ、おれはやらないとウソブいて、人前では遊び呆けて見せて、こっそり隠れて汗かくというような美学こそ、プロ向きと言われた筈だが、これほどトレーニング自体が科学的になってくると、銀座で酒なんて飲んでいたら、何たらかんたらの数値が悪化してしまい、そりゃキミ努力不足だろということになるわけだ。美学が美学として通用しない、息苦しく切ない時代。

だから何だという結論は、この項にはない。我々はそういう時代を生きている。