電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

WEBベースアプリの将来性

多分、自分の本業であるいわゆるIT業界は、本格的に会社としてのお盆休みがあるところはごく少数であると思うが、差し迫った納期などなければ、お盆はやはり多少のんびりするところが多い。エンドユーザーが盆休みのところが多いからだ。個人の話をするなら、25年もやっていると、その半分は差し迫った納期を抱えていたことも多いし、今年も暇というほどではないのが悲しい限りだが。

数日前にどっかのIT系のニュースサイトで、WEBベースの便利なエディタが登場的なニュースをみた(今探してみたら出てこないんだが)。本質的な部分で、WEBベースのエディタって、どういう層にゾーンニングしているのか、今ひとつ分からないところがある。なのでこれをキッカケにちょっとタイトルのテーマでモノを考えてみる。珍しいね、自分にしてはという文章。

例えば、twitterのWEBクライアントであれば、HootSuiteに代表されるように、個人にニーズがあるのはよくわかる。が、エディタとなるとどうなんだろう。HTMLソース吐き出しエディタ(なんて言葉はないが便宜的に命名。まあHTMLジェネレータですな)、つまり、ブログの編集画面についているようなエディタであれば汎用エディタは意味がないし、単なるエディタだがデータをクラウドの側にキープ出来るということなら、データ作成するソフト自体はローカルの側にあって一向に構わない(Evernoteのようにむしろデータ管理に注力すべきだろう)。

エディタに限らず、WEBアプリがある程度一般化した背景には、まずはアプリ自体の配布の手間(ローカルにインストールすべき部分があるとしても、それはローカルアプリより圧倒的に小さいボリュームで済む)、アップデートの手間、その工数を省く為に、企業が自社システムをウェブで組み始めたというのが、最も大きな理由だったわけだ。

ところが、自分の経験上、現時点においてすら、結構デカい会社でもネットはADSLくらいのインフラしか導入されてない支社・支部を抱えているところは多かったりする。つまり、インストールに、何メガならまだしも何百メガ必要なローカルアプリとなると、配布方法は結局CDやらDVDにマスターを焼いて配送なんてカタチを取らざるを得ないのだ。

またWEBアプリは、プラットフォーム・OSを選ばないというのが、最大の利点であるにも関わらず、ブラウザの種類・バージョンに動作が影響されてしまうというのが最大の問題なんだが、企業のイントラネット環境であれば、ここは強制的にIE6しか使ってはいけません的な使用方法が可能で、実際多くの企業は、そういう方法を取る。

そうして得られた技術的な蓄積から、WEBアプリは一般化し広く使われるようになった……わけでも何でもないんだよなあ。事実、自分は、いわゆるWEBアプリと言えるものは、上記のHootSuiteを、たまに使うくらいで(主力はローカルアプリ)、ほぼ使ってないと言っていい。

ネットのそこここを見る限りでは、個人でWEBアプリを使う傾向がある方は、いわゆるパソコン(MACも含めてという意味でこう表記)ライト層というか、技術に対する理解が浅い人達であるように思える。つまり、仕事に使うのはワードとエクセル、それ以外はメールとネット、それ位という。ふとネットでこういうアプリがあるよと聞いて、インストールしてみるとそれがWEBアプリだったという。こういう方々はソフトの使い勝手だ何だに拘りが薄いともいえる。

MSはある時点から、そのOSの方向性を企業で使うOSという方向に明確に振り文化を作ろうとしていた。これはあまり語られない事でもあるんだが、つまり、プリインストールされているアプリ以外は、積極的にはアプリを入れさせないガードがかけられている。システム管理者が存在することを前提としたOSなんである。結果として、昔のようなシェアウェアやフリーウェアの世界は、ほぼ壊滅的な状況であるわけだ。

ところが、iPhoneiPadが、自分の手でアプリをインストールする文化を復活させつつある。さらにはマシンの小型化により、外に出てヨソのマシンをちょろっと使う位なら、自分のマシンを持ち歩くという傾向は、ネットブック登場前後より、かなり加速している。そうなれば、アプリに関しては、WEBベースである必要はまったくないわけだ。機種依存・OS依存でまったく問題なくなってくる。逆に言うと、こういう使用方法が当たり前になってくると、最近ではパソコンよりiPadの方が便利な魔法の箱であると勘違いしている人すら散見され、であるなら、パソコン一般のシェアウェア・フリーウェア文化が復活する可能性だってゼロではない。

こう見ていくと、使い勝手の悪いWEBアプリなどには、まったく将来性はない。というのが結論となってしまうんだが。おかしいな。今こういうこと書く論調って、ほとんど見かけない。何かの陰謀なのか。ちなみに、クラウドにアプリがあることより、クラウドにデータを持たせることを、ほとんどの企業は歓迎しない。びっくりする位に情報保護は厳しくなっている。この辺りも、WEBアプリに不利な要素。

ところで、エディタの話。出先のエンドユーザーの開発部門で、秀丸をレジストしないまま、全マシンに入れて、ソースのエディットに使わせている企業を見たことがある。違法にパスワードを入手しているのではなく、レジストしないまま使っているから、別に違法なわけではない。全員が試用状態で使用しているわけだ。あの五月蝿い警告が出続けるのを我慢せよという。自分からすればキチガイ沙汰だとは思うが。その位、エディタというのは広範囲で使えるソフトであるわけだが、上記で書いたソフトへの拘りが薄い層は、概ねエディタの効用を理解せず、重たいワープロソフトを使っていたりする。

ずっと不思議なんだが、MACには、秀丸のような定番エディタが存在してない気がするんだが如何だろう。Jedit辺りがそういう位置付けなんだろうか。MACを使う作家とかライターとか山ほどいる筈なのに、あまり、マシンに文章を打ち込むことへの拘りって聞いたことない。いやホントの事を書いてしまえば、不思議じゃないんだけどね。ある悪意に満ちた結論が、そこにはあるんである。書かないけどさ。