電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

ガラスの四十代(しかも後半)

さてこの「ネットで人気者になる方法」という連載、実質的には、これが最終回。

ちょっと前に書いた、サイバー格闘技界(笑)の昔話は、好評だった。というより、反応を多く頂いた。ここへのコメントも多かったし、ツイッターでもそれなりのリプライを頂き、連載化希望というありがたい声まで。

上記で、自分はネットでそんなにイヤな思いをしたことがないと書いたが、少し補足説明が必要なのかもしれない。補足と言っても、シンプルな話で、罵倒されていることに慣れているだけの話なんである。例えば、比較的最近でも、自分が何故投票に行かないかという話を書いた時、ツイッターで「アタマ悪いですね」的な、それ自体がその人のアタマの悪さの表明であるリプライはもらったりしているんである。

例えば、はてなの匿名ダイアリーでこんな話がある。「お気に入りにしてた人が喧嘩を始めた」

ちょっといい話だよなとは思うものの、さすがに自分もこの歳になって、センシティブに傷ついてばかりはいられない。

この話は、はてなブックマークの話だけど(そしてちっともブックマークされないので、対応したこともないのだけれど)、自分に対する罵倒への対処方法という意味では、2ちゃん時代から大差はない。事実、スルーするんでもなく、ブロックするんでもなく、かと言って罵倒に罵倒を返すんでもなく、勿論、センシティブに傷つくんでもなく、実にサワヤカなリプライ(主観)を、ひとつ返しただけで、「いじっちゃいけない人みたいですね」と書かせて、ブロックされてしまった(興味ある方は、twilogをじっくり探してみてね)。多分、昔の癖というか経験的蓄積により、守備スキルが高過ぎるんだな。これがよくない。自分ももっと傷つかないと、多分、人気者には成れない。

さて、最初に引いたネットの昔話。自分の場合、ネットがきっかけでリアルでお会いした方は、ネット歴の長さに比例して実に多い。リアルでお会いしてなくとも、長年自分の書き込みを読んでくれていた方々も、そんなに多くはないものの確実にいらっしゃって、うれしい限り。このネタ、明確に、こういう方々に好評だったわけだ。

が、どうだろう。あの頃を知らない人にどれだけインパクトのある文章だったんだろうか。ふーんそんな時代もあったのね。その程度のモノなんではないか。それだけならまだましなのだが、多分アベレージを取ることが可能なら、アクセスしても興味ないから読まないレベルであったりする筈で。所詮、ネットの無名人達の無名の歴史。知らない人へのフックはどこにもないんだな。

逆に言うと、この昔話ネタは、実にSNS的方法論というか、対象とするクラスタが細分化され過ぎていて、今自分が書いていくべき文章というものがあるとするならば、そこからは最も遠いモノであるという思いが強い。

例えば、ブログのアクセスを増やす為のいくつかの方法みたいな記事になれば、専門ジャンルを作れ的なアドバイスはよく挙げられる。かと言って、その専門が「20世紀末からゼロ年代の格闘技を巡るネット状況と実践」だとするなら、それは専門ジャンルというレベルではなく、単なる身内の昔話ネタでしかないわけだ。

自分の専門である、女子総合というジャンルですら、現状ではジャンルとして小さ過ぎて、それを専門にしても、このブログのアクセスを増やす為のネタにはなりえない。つまりそれは、女子総合というジャンルの啓蒙・宣伝・告知としてのパフォーマンスは極めて悪いということでもある(勿論、現状既に女子総合のファンである方々への情報開示、ファンサービスとしては充分有効であることは当たり前の話)。さらには、自分はヴァルキリーの人間であり、ヴァルキリー以外の女子格闘技全般を、ヴァルキリーと同じようには書けないという、つまりインサイダーである故の制約も大きい。つまり、扱える内容がさらに限定されている。益々厳しい。

結局は、時事ネタに突撃して、自分の無知ぶりを晒して、玉砕して思い切り傷つく風景を中継する位しか、方法論は残されてないのかもしれない。かと言って、ここで次の方法を考えないといけない的なことを書いたが、その結論がこれではお話にならないとも思う。

この連載名で書くことは、もう書き尽くした。もう少し具体的な方法・技術に振ろうと思っていたこの連載、結局、概念論といつもの自分語りばかりで、イマイチなまま終了ということだ。まるでこのブログを象徴するような連載になってしまったということだが、今後もネット関連の話題であれば、このタグで何かを書くこともあるとは思う。

おしまい。おれが。