電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

おれの罪なら百回は数えた

仮面ライダーW、最終回。何よりディケイドで評判悪かった「劇場版に続く」ではなく、ちゃんと話が終わったのがよかった。

自分はオモチャも買わないし(というか、買う子供をもっていないし)、仮面ライダーの劇場版史上、最高傑作の噂も散見する最新作も行く予定はない、ライトなファン(?)。元々ライダーのギミックとか特撮物全般が好きだとか、そういう理由があって観ているわけではなく、平成ライダーのストーリー性に惹かれて観ているところがあって、そういう観点からすると、Wはやはりイマイチだったという結論になる。

内容を分析するというより、何故自分がそう感じてしまうのかと考えてみるに、つまり自分はSF・ファンタジードラマとして、平成ライダーを観ているので、その意味で今回は物足りないということなんだと思う。例えば、電王なんかだと、広げまくったタイムトラベル物としてのストーリーは結局収斂せず、破綻したまま終わってしまったわけだが、次回へ次回へと引っ張る強さがあった。

例えば、SFが好きで、アニメでも映画でも片っ端からそれ系を観るという人もいるわけだが、自分は何故かそうならなかった。中学・高校くらいの頃に読みまくった数多のSF小説の傑作を未だ引きずっていて、むしろアニメや映画、ゲームのSF的なモノを、それと比較して厳しく観てしまうことの方が多い。

実は自分はガンダムをまったく知らない。高校生の頃、直撃だったのにも関わらず。アニメなんて子供の観るもんだと思っていたのだ。同じ時期、スター・ウォーズが公開されて、こちらは一応封切りで観ているものの、けっ今時スペースオペラかよ、子供じゃあるまいしとやはり馬鹿にしていた。

世界のすべての作品を、自分はもう理解出来ると思っていた。そういう思い上がりから、眼を覚まさせられたのは、もう二十代になってから、舞台芝居、特に小劇場の世界に触れたことによるんだが、それはまた別の話なので、またいつか。兎に角、端的に表現すれば、嫌なガキだったんである。そんなことを言い出すと、今も嫌な大人だろという説もあるが、これまた別の話。

あの頃、自分はもう大人なんだと無意識に押さえ込んでモノが、自分を平成ライダーに向かわせるのかもしれない。