電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

ゆくてを塞ぐ邪魔な石を蟾蜍は廻って通る

最近「いい人」と言われることが滅多になくなってきて、性格が悪いとか意地が悪いとか陰湿とか、そう言われる事が益々増えているんだが、元々「いい人」というのは、婦女子との付き合いにおいては、多く場合、どうでもいい人か、使い勝手のいい人であり、仕事上の関係においては、仕事を自分の分までやってくれる人か、自分の代わりに責任をとってくれる人であり、やっぱりどこまで行っても、単純な意味での、良い人という意味で「いい人」という言葉を人に向けることは、あまりない。

元々、物事を頼まれると無碍に断れない性格が災いして、いい人になりがちであった自分は、単純にそれがイヤで、エキセントリックであったり、シニカルであったり、時に、天才と紙一重だったり、まあそういうフリをしているうちに、それが染み付いてきて、今や本当にイヤな奴、いやそれはそれでいいと思っていて、いい人と思われて、お願い事を山のようにされて、それを断れなくてパンクすることが、さすがに体力的にも気力的にも耐えられなくなってきたということだ。

とは言え「そんなことやっていたら、自分のやりたい事なんて、いつまで経っても出来ない」と、かなり昔に、当時自分に一番近しかった女性に、言われたことがあり、それは、今もあまり変わってない程度の状態ではあり、にも係わらず、イヤな奴とか性格が悪いとか言われることだけが増えて、これはひょっとすると言われ損なのではあるまいかと思ってみたりするんだが、このままいけば、そのうち誰も自分のことなんて相手にしなくなるだろうと楽観的に考えているのである。誰にも相手にされなくなれば、もう誰もおれの悪口なんて言わない。もう一息だ。とっくに、指から魔法が出るようになったし、あと数年すれば、覇王色の覇気だって使えそうな気がする。