電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

殴る女たち

篠さんが「スマックガール」という大会名を発表した時、「へえ、殴りあう少女たちか、いいねえ」と喜んだ事がある(英文法的にはそうはならないわけだが、まあそれはいいとして)。もう10年近く前、2001年の話。

佐々木亜希さん初の著作「殴る女たち 女子格闘家という生き方」(草思社)。写真は杉博文さん。女子格闘技のファンならお馴染みなお2人。

簡単に内容を説明すれば、女子格闘家のインタビュー本。女子格闘技専門本(?)としては、藤村幸代さん(当時松本幸代さん)の「ママダス」(情報センター出版局)以来だと思う(こちらも写真は杉さんでした)。共に女性が著者。「ママダス」は、女子格闘家の親と子ということをメインテーマに押し出していたのに対し、この「殴る女たち」は、一般的には普通ではない、女性である選手達自身の殴ること殴られることの意識がテーマ。

自分が関わっているヴァルキリー出場選手からは、辻結花選手とV一選手が、ピンとトリに登場。読ませます。

と、ここまでは、普通に紹介しているわけだけど、ここからは自分なりの読んだ印象を。先に不満なところを書いておく。もっと佐々木亜希個人のエゴを前面に出してもよかったのではないか。ささきぃ、紙プロの編集者を数年経験して、取材対象を切り取る為に、自分語りを抑えて語れる方法は、勿論身に付けていて。けれど、これは、ささきぃの本なんだから、もっと「著者」の存在を浮かび上がらせてもよかったんではないか。

というのも、ささきぃ文才あるわけよ。いくらでも自分語りを面白く読ませる方法はもっているわけで。女子格闘家を紹介するという、業界的にも、勿論自分的にも、ありがたいことがメインにはなっているものの、自分に取って、物足りないところがあるとするなら、ここが唯一の部分。ささきぃに取っての「殴ること殴られること」、それは前書き後書きで少し触れられているけれど、決して物理的に殴り殴られることだけではなく、きっと色々ある筈で。まあ、この辺りは次の著作に期待のいうことでいいかなとも言えるんだけど。

で、個々の選手について。一人一人の内容については触れないけれど、まあ何と言うか、端的に言ってしまえば、みんな変だ(苦笑)。それぞれが、それぞれに変。これはもう兎に角読んでくださいなという感じで。ただそこから思うのは、女子格闘家はみんな変という結論ではなく、女はみんな変、いやいや、人はみんな変という結論になるような気がして。人は変な部分をそれぞれに持っていて、それが女が殴りあうという益々変な行為によって顕在化してくるというか。つまり、その人がその人である部分、つまり変な部分を表立って表現出来る場が、格闘技という舞台であり、著者のささきぃに取っては書くという行為であると。そんなことを考えた。

人ってみんな変。ただその変な部分こそが、表に立って輝ける部分でもあり。故に女子格闘家という存在が、一人の人間としてみれば、別段変わった存在などではない、当たり前の一人の女の子であるということが浮かび上がってくる。そういう本なのだ。それもこれも「読ませる」と「すらすら読める」が共存していて、そこは佐々木亜希の文才ゆえ。結果として、女子格闘技関連本の範疇で語られる本ではなく、ノンフィクションという広範な範囲で勝負出来ている。

佐々木さんのブロクは2つ。前者はオフィシャル(的)な内容、後者は個人的な内容、双方楽しめます。

ときどきキックアウト 日刊佐々木亜希(仮)

藤村さんの「ママダス!」も併せてご紹介。あっ「殴る女たち」は、1128ヴァルキリーの会場でも特典付きで販売しますので、そこまで待つ手もありますぜ。