電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

『「バブルへGO!」へGO!』へGO!

グリフォンさんとこで、広末の「バブルへGO!」が話題にされていて、該当の昔の記事で、自分の昔のブログのURLが引かれていたので、再掲しておく。無修正。格闘技としては、格闘技バブルというもののがあったとすれば、2007年というのは、それが弾けたかどうか微妙な時期であったとは思う。当時の自分のブログタイトルは「電脳スマックガール」、つまりスマックガールのオフィシャルな性格も若干持っていたということは追記しておく。

「バブルへGO!」へGO! - 2007.02.16



今日はDEEP、明日は修斗と、ああチケット買っておけばよかった、両興行とも凄く売れてるらしく、当日券狙いで行っても入れなそうじゃんと思い、しょうがないので、シコシコ仕事に専念することにしたのはいいのだけれど、アタマの中が「バブルへGO!」だらけになってしまって、気がつくと、微妙な仕様変更が入った規定チェックプログラムの修正中ソースに、ひたすら「バブルへGO!バブルへGO!バブルへGO!」と書き続けていたのでした(バブリーなまでに誇張)。コンパイルエラー続出(当たり前)。



そうして、もういても堪らず、遅れ気味、否、きっぱり遅れまくりの仕事もすべて放り出し、電車で一駅の吉祥寺に行って、「バブルへGO!」の開始時間をチェックしてみると、かなり余裕があったので、「ぶぶか」の油そばで腹ごしらえをして(さすがに大盛りは途中で飽きるね)、ついでにロンロン東口の新星堂を冷やかしてみると「チャーリーズ・エンジェル」シリーズが2本とも980円で売っていたので、思わず購入し(あれだけ曲を使っていながら、実は見てないのですこの映画、だってチャーリーズ・エンジェルといえば、やっぱりファラ・フォーセットだもの)、やはり激安になっていたウディー・アレンの映画(も理解できてしまうハイブラウな私)なども購入し、すっかりニコニコになりながら、「バブルへGO!」してきたのでした。



それでは、ここまで大袈裟に書くほどの映画だったかと言えば、全然そんなことはなく、そこそこシャレてて、そこそこ面白いという程度の映画でありました。



なんつーかな、以下、ややネタバレ気味なので、これから見る人は読まない方がいいと思いますけど、要はバブルという時代を象徴させるような記号は、小道具としては存在しても、文化としては何も存在しないということで。バブルはバブルでしかないというか。



例えば、自分にとってのバブルの象徴とは何かと言ったら、兜町周辺に続々新設されたハイテックなトレーディングセンターであったり、大した会社でもないのに、高津とか溝口あたりに勢いで建ててしまった自社ビルの、不毛に豪華なエントランスだったり、インチキ絵画が飾られている応接フロアーだったりで。



で、そういうモノって、今もあるんですね、普通に。兜町からさらに東に向かって佃島方面には、高級マンションがニョキニョキ林立し、佃大橋から見る風景は、あの頃より確実にバブリーで。勿論、お台場方面から逆に都心を見てもいいんですが。



結局、バブルというか1990年という年には、時代を象徴させる文化など、何もなかったと。



あと、時代考証も微妙に間違っていると思うんですが。1980代の後半には六本木には既にキャバクラ(とは呼んでいなかったものの、銀座のクラブとも場末のスナックとも違う、若者向けで時間切りで若い姉ちゃんが着く店)があって、結構若いリーマンが通い始めていた時代ですぜ。自分も接待されて行ってたし、自分的には、あれこそがバブルであったとも言えなくもない。少なくとも、ボーナスがっぽがっぽの株屋系30前後は、そういうところで遊んでいた。ディスコなんてガキじゃあるめえし、滅多にいかねえよ。



ダンスにしたって、1990年にはダンス甲子園がもう始まっていて、ストリート系というか黒人系のダンスは別に珍しくも何ともなかったわけで。だって、マイケル・ジャクソンのスリラーが1982年だぜ。少なくとも、あの広末のダンスは、あんなには浮かない筈だ。マイケル・J・フォックスのギター早弾きと違って。



そういう意味で、パロディー元である「バック・トゥー・ザ・フューチャー」の1950年代のアメリカの田舎町とか、「20世紀少年」で執拗に模写される1970年の下町の風景とかボーリング場とか、ああいう記号が成立してないんだな。使われる音楽も、結局、時代を象徴できてなくて。バンドブームって、たまたま年代的にはバブルと重なっているけれど、あれがバブルかと言ったら、それは違うわけで。プリプリの「ダイヤモンド」(あるいは「世界でいちばん熱い夏」とか)は、今聴いても甘酸っぱい気分になれる曲だけど、バブルとは関係ないもんね。



シンプルに言ってしまえばアイディア倒れ。そのコケっぷりが、バブルという時代をウマく表現しているとも言えなくもないけど。まあ、成蹊なんて、所詮この程度ですわ(安倍)。