電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

情報も流通改革

例の尖閣諸島の映像問題、グリフォンさんが大新聞の社説を比較してて、実際に読み比べてみると結構面白い。

【読売】海保職員聴取 流出の動機と経路解明を急げ
【朝日】海保ビデオ―独断公開が投じた課題
【毎日】社説:海保職員聴取 流出の背景解明が必要

いずれも何日かすると消えちゃう筈なので、著作権に問題が発生することを承知で、あえてハードコピーも取ってみた(ウェブ魚拓でもいいんだけどさ)。何ヶ月かして、これを読む人は下記をどうぞ。部分的にここに引用しておいても、分かり難いしね。

読売 朝日 毎日

何と言っても新鮮なのは、朝日が圧倒的にマトモなことを書いていて、それにいつも自分は棚上げなグリフォンさんすら同意している。

 これまでは社会に情報を発信する力は少数のマスメディアにほぼ限定されていた。メディアが表現の自由報道の自由を主張できるのは、国民の「知る権利」に奉仕して民主主義社会を発展させるためとされ、その裏返しとしてメディアも相応の責務を負った。



 情報の真偽に迫り、報道に値する内容と性格を備えたものかどうかを見極める。世の中に認められる取材手法をとり、情報源を守る。時の政権からの批判は言うまでもなく、刑事上、民事上の責任も引き受ける――。

簡単に言ってしまえば、権力の監視の為には、場合によっては法律なんてブッチしゃちうぜと言っているんである。そしてそれは、狭義のジャーナリズム(という言い方を自分はよくするが、あまりに伝わっていないだけでなく、当のマスコミ関係者にも自覚がないように見えることが多く、呆れることが多い)において、圧倒的に正しい。

今回の問題は、この狭義のジャーナリズムの基本的なところを揺るがす、あるいは問い直す問題である筈なのに、いやそうであるからこそ、大新聞様は当然無自覚、あるいは頬かむりであろうという自分の予想を超えて、朝日だけは、自らを棚に上げなかったということでもある。勿論、よく言えばそうなるというだけであって、違法であることより情報の開示が重要(というより、ボクちゃんスッパ抜きたいんだもん)、それが国民の知る権利だとほざく大新聞様の上から目線って一体何なのよという否定的な評価も成り立ち得る。この問題、しばらく前に亡くなった梨本さんと芸能ジャーナリズムの話に置き換えて考えるとわかり易い。

あらゆる物流がそうであるように、情報も、流通経路が変わりつつあるわけだ。一般小売においては、そこここで中小の商店街がシャッター商店街化するような事態が起きているのとは逆に、情報においては、仲買が省かれることにより、田舎の路上の野菜売りみたいな超弱小の小売店が増えていくという。結果として、情報を仲買いして、その代わりに情報提供者を守るというマスメディアの機能は、益々失われていくことになる。

大新聞様の仕事は、2ちゃんとユーチューブ(あるいは2ちゃん的なモノ、ユーチューブ的なモノ)の裏取りだけなんて時代が、もうすぐそこにまで来ているんだと思う。面白いね。