電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

あまりにぎやかでない未来

バック・トゥ・ザ・フューチャー」が、公開25周年ということで、特典付きのブルーレイが出た。自分が持っているDVDも比較的新しく2002年かそこらに出た、全3作一緒になったトリロジー版なので、まあ傑作は商売になるということか。

実は、これはもうたまたまなんだが、比較的最近(1ヶ月ほど前)、深夜に何気に1作目を観たら止まらなくなって、朝までかけて、3作目まで一気に観てしまった。どうもあまり面白くない印象が強かった2作目が、そんなに悪くないことに気付く。アイディア・小ネタが豊富なんだな。逆に3作目は行く時代が絞られる為に、クリント・イーストウッド絡みのネタが多少ある位で小ネタは少なく、勿論、その代わりに一気にラストに向かって走っていく爽快さとカタルシスがあり、ガチャガチャした印象がある2作目のラストが、あまりにあまりな「続く」で終わってしまうこともあり、若かりし頃の自分には物足りない印象を残したのかとは思う。

いやいや、そういう映画評の話を書きたいのではないのだ(とは言え好きな映画であるので「お勧め映画」に入れておく)。

今回の25周年、そもそも1作目で最初にドクが行こうとした未来が2010年10月26日であることから、企画されたようなんだが(この日にブルーレイも発売)、自分が書きたいのは、2作目で到達する未来が2015年、もうこの未来ですら、あと5年しかないのだ。

バック・トゥ・ザ・フューチャーで描かれた2015年の未来。ざっくり整理してみようか。

<劇中で実現しているが、恐らく5年では無理なもの>
・エアカー
・自動的にフィットするスニーカー(機能次第で微妙だが)
・自動で乾燥するジャンパー
・解凍すると大きくなるピザ

<劇中で実現してて、現実でも既に実現しているか、5年あれば充分実現するもの>
・テレビ電話(FAXを併用してて2010年現在で既に時代遅れ感がある)
・映画館の宣伝の立体映像(あの位なら現時点でも似たようなことは出来る筈)

<劇中では存在していないもの>
・携帯電話(警察がトランシーバー的なモノで会話している)
・インターネット

何と言っても、あと5年では間違いなく出現しないのは、街の上空を飛び回るエアカーだろう。映画内の映像だけ観てもかなり危険な気がする。マシン単体のコストにしても、免許制度にしても実現させるには問題が山積みだ。

自動的にサイズをフィットさせるスニーカーは、あそこまでのモノはないものの似たような機能のモノがあったような気がするし、濡れたら自動的に乾燥するジャンパーもやる気になれば出来るような気がするが、はっきり言えばコストパフォーマンスが合わないというか、ニーズがないと思う。また、解凍すると大きくなるピザなんかも、根本的にアイディア倒れであって、旅行・非常食でもないなら、あんなに小さくする必要は未来に渡ってないというか、意味がないわけだ。

テレビ電話は基本的に既に実現している。上記で触れたように、劇中の光景の方、モニターが単にやたらデカいだけで、技術的には既に現時点に遅れているような気さえする。

やはりここでも問題になるのは、インターネットであって、インターネットがもたらした最大の変革は、実は広告・宣伝の構造変革なのではないか、という気がする。今高いカネを払って地上波でバンバンCMを流すことが、果たしてパフォーマンスが合うのかという話であって、恐らく20世紀の末からゼロ年代までは、世界で一番偉かったのは、広告代理店様だったわけだが、これからどうなるか、予断を許さないわけだ。

コストの話は重要で、例えば、上記の映画館の宣伝立体映像(「ジョーズ」がシリーズ化されていて、その映像が出るという)なんかも、やろうと思えば出来ると思うんだが、街の宣伝看板に、そんなにカネかけても意味ないだろという話なんだな。

歌舞伎町に行くと、上を見上げる。最近は、ドンキーがある歌舞伎町の入り口の辺り、看板が空いている。多分国内では有数の広告効果があり値段も高いところの筈で、そういうところの看板が空きだらけという。

と、中途半端に浅く考察してみたが、さらに詳細をすっ飛ばして強引に結論つければ、筒井康隆が、大昔に書いたショートショート「にぎやかな未来」は、インターネットの登場(というよりメディアの多様化により)、さらにはコスト問題で、訪れませんでしたという話。未来は、常に予想より世知辛い