電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

世界を漬け込め、岡見勇信!

白鵬の連勝記録の比較対象記録として、突如現れた、谷風の63連勝。

何だかよくわからないというか、競技スポーツにおける記録は、色々面倒くさい。相撲であれば、一年における場所数、場所内の取組み数、色々と問題がある。野球の記録だってそうだ。一年の試合数の問題を始として、山ほど記録の記録性(?)を曖昧にさせる条件がある。

パッキャオの6階級制覇にしても、方向性は違うが曖昧さは同じだ。実質的には8階級制覇とも10階級制覇ともいえるパッキャオのその記録が曖昧なのは、ボクシングの世界においてタイトルマッチが乱立、インフレして、結果として個々のタイトルの価値が落ちているからであり、パッキャオが単に「メジャー団体のベルトを獲得」することにだけ拘れば、もう少し記録も分かりやすくなっていたかもしれない。そうでない価値がパッキャオのしてきた試合にはあるわけだ。

そんな訳で、谷風って誰よと思って検索してみれば、「修羅の刻」にも出てきた雷電の師匠か、ああなるほど。しかしあの時代の記録が、何故突如浮上してくるのか、いまひとつわからない。白鵬双葉山の69連勝を破ったら、今度は98連勝が取り上げられる伏線だろうか。

が、白鵬、パッキャオとくれば、やはり総合の人である自分としては、今日は岡見勇信だろう。

岡見が難関マーコート戦乗り越え、王座挑戦へ

今の岡見勇信なら、ゴセイジャー仮面ライダーオーズも完全体となったセルも、漬け込んでしまうだろうと、朝からツイッターではしゃいでしまったよ。

かと言って、相変わらず、岡見“おれたちの”勇信に対し、そのファイトの質を問う声は多い。端的に言えば、試合がつまらないという。

が、ここまで来ると、総合格闘技の未来の為に、岡見の漬け込みこそが、むしろ重要だと思うのだ。皮肉でも何でもなく。面白かったとか面白くなかったとかの判断より、勝った負けた自体が最も関心を引くこと、つまり記録自体が価値を持つこと、それがUFCという場においては可能となりつつあること、そういうことが競技にとって最も重要な前提であるということ、つまり、岡見勇信の戦いは、総合格闘技が現在抱える、世界との戦いと見事に重なっているといえる。

岡見勇信が世界を漬け込む時こそ、総合格闘技が世間を漬け込む時であると確信している。