電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

坂の下のドブ川

3年に渡って放送される変則大河「坂の上の雲」の2年目が始まって、その初回(通しでは第6話)、自分はイマイチだったんだが、どうだろう。何か去年の第一部とは感触が違ってきている気がして。勿論これは放送の間隔が空き過ぎていて、去年のいい印象が強過ぎるからそう感じてしまうというのが大きいとは思う。けれど、絵のキレイさは龍馬伝で慣れてしまった感があるし、何と言っても、岩崎弥太郎が死にそうになりながら俳句読んでて歯がキレイなのが、激しく違和感を持つというか(素人批評)。

司馬遼太郎の原作を、最近読んだ。司馬遼太郎は20代までに、その小説の多くを読んでいるが、この大作(というより明治期以降を扱った著作)は読んでないことは前に書いた

読み始めて、あっという間に2巻に入って、あれこれは去年の終盤だ、3巻でもう追い抜いて、4巻で日露戦争が始まり、文春文庫版、全部で8巻あるので、後の4巻は全部日露戦争の逸話集かと思って多少うんざりするも、やはり面白くて止められない。かなりの早いペースで読み終えてしまった。

圧倒的に面白いとは思うものの、小説としてはこれほど破綻した作品もない。主人公3人のうち、岩崎弥太郎じゃなかった(シツコイ)正岡子規は大して見せ場もないまま早めに死んでしまうし、秋山兄弟もあまり出てこない。大山巌は西郷どんタイプで犬が好きとか、大臣レベルから現場の参謀に自分を格下げして陸軍を率いた児玉源太郎高橋英樹)は天才だがこの局面では疲れて呆けていたとか、乃木大将(柄本明)が如何に無策だったかとか、バルチック艦隊がマダカスカルで停滞していた模写とかが延々続く。日露戦争の本質を捉えることを優先するあまりに、秋山兄弟の人生にフィクションを持ち込めなくなって、小説の主人公として躍動しなくなっている。歴史小説としては、間違いなく失敗作だろう。勿論、小説以外の意味は山ほどあるとは思うんだが。やはり、司馬遼の「代表小説」というなら、それは間違いだと思う。まだ「代表作」というなら、わからなくもないんだが。

で、大河の方。何でこんなもんを映像化したがるのか。映像化して盛り上がりようがないと思うんだが。カネかけて戦争シーンを充実させても、映像でだだーっとやっちゃったら、恐らく司馬遼が、フィクションから逸脱せざるを得なかった、事実を掘り起こすことに拘った意味が、全然伝わらない。逆に戦争スペクタルに振り切ったって、どんなにカネかけてもハリウッド映画には敵わない。つまり、ただのカネ食い虫だ。勿論、それをNHKだから映像化出来るわけだし、そういう無駄こそが文化だし、充分意味があるというのは、上記で引いた去年時点の感想でも書いた。書いたんだが、大河ドラマとしては、盛り上がりようがないこの小説(?)を映像化したいという欲望こそが映像屋の映像屋である所以というか、その情熱だけは理解出来るからこそ、オープニングで引かれる原作冒頭部と1巻後書きの例の混合文章「まことに小さい国が開花期を迎えようとしている……」が、繰り返して流され、第二部でもそのままであって、うーむと唸ってしまう感じでもある。

個人的な好みの話を書けば、柄本明が、坂の上の雲の乃木大将であるからこそ、いつも以上の奇跡の名演が期待出来ると思うんだが、考えてみると、出番は来年末の第三部の話だ。では、今年の第二部は何に期待すればいいのか、ええとその、石原さとみ……かよ。原作じゃ3行くらいしか出で来ないよ(大袈裟)。いや過去大河の話でいえば「義経」の静御前は一部で極度に評判が悪かったが、自分はそんなに酷かったとは思わない。タッキーの義経よりいくらかマシだった。

坂の上の雲の雑感は、ドラマの進捗と平行して、さらに色々書きたくなるような気がする。自分はいわゆる新人類世代、オタク第一世代であり、そのような時代人としての体質で、坂の下に汚いドブ川が見えたら、その暗さに引かれて坂の上から自転車で真っ逆さまに駆け下っていくであろう。