電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

キミが来る予定はないクリスマス

ツイッターやら何やらで格闘技クラスタの呟きを流していたりすると、「どうしても会場に1人だと行きにくい」的な発言を見かけることが多く、やっぱりそういう人が多いのかなあと思う。そういう人は例えば映画なんかでも1人で行くのはちょっとという人が多いんだろうし、その根底には、1人で行動することイコール友達がいないことであって、それ自体が恥ずかしいという前提があるんだろう。

そういう感覚、わからないでもないが、自分はまったく逆で、例えば、格闘技興行でも席に余裕があったりする時は、意識的にスカスカのブロック(大概は購入している席より後ろ)に移動して、ゆったり見るなんてことが多い。映画館だったら、前の方が空いてるので、勿論、かなり前に座る。最近ではシネコンとかで座席指定な映画館が多くて、そういうのがコントロール出来ないのが嫌だ。もうここ数年、舞台芝居はまったく見てないんだが、芝居の場合、大概は座席指定であって、隣に人が来る場合がほとんどであり、それが億劫というのも大きい。飲食店なんかでも、1人では入りにくい店というのはやはり多いけれど、それでも1人焼肉なんかは全然問題ない。

昔、何かの格闘技の大会で(多分女子系)、やはり後ろの方が空いていて、自分の席から移動して、ゆったり1人で見ていたら、ネットに「メモ8のヤロー、1人でポツンと見ていた、プギャー」的に書かれたことがあり、一瞬意味がわからず、そうか1人で行動することは、この書き手に取っては恥ずかしいことなんだと思い至るわけだが、格闘技の大会にせよ、何せよ、1人で好きに動ける事の方が、自分に取っては、かなりプラオリティーが高いことは確かだ。

そういう自分であっても、さすがにクリスマスを1人で過ごすという行為は、控え目に書いても、やはり寂しい行為であるとは思う。迎えてくれる家族もなく、当然2人で過ごす彼女もなく、男複数でバカ騒ぎするのもイヤで(元々多人数の飲み会が苦手なんである)、当然、しんみり1人で過ごす。これが正月だと、1人でもいやあ静かで気持ちいいなあ的開き直りが出来るんだが、クリスマスだと、未だ1人でいること、そしてそれを表明すること自体すらも寂しいと感じる。けれど、当たり前の話なんだが、その寂しさこそが、現在の自分であり、それを引き受けることからしか、どこに向けても歩き出せないとも思う。そんな事を思って、もう10年以上、どこに向けても歩き出していないんだが。