ジャッジ基準について考える
今回はボクシングとスマックガールを例に取り、ジャッジ基準の話を書いている。ボクシングでもK−1でも総合でも、ジャッジで物議を醸すような試合あると、必ず「もっと判定基準を明確にすべき」と言い出す人が現れる。多くの場合、その時点のジャッジ基準を明確に知りもせず、では、どのようにジャッジ基準を明確にすべきなのかということなど考えたこともない人達だ。
勿論、ファンは何を言ってもいいのである(さすがに専門誌にそういう論調が載ったりするのは如何なもんかと思うが)。が、そういう議論が起きた時に、ここを読んでねと言える資料がネットに存在するだけでも、この一連の文章の再掲は意味あるとは思っていて、かと言って、勢いで文句をつける人は、こういう息の長い文章など読もうとすらしないことも、体験的に知っていて、故に深い諦念を抱くに至ったとも言える。
ジャッジ基準から曖昧さを完全に排除することは不可能だ。そして、逆に曖昧であってこそ意味を持つことも多い。これは持論として過去にも繰り返してきたことだが、この事は、この連載の裏テーマであるともいえる。
「ジャッジを考える7」 2006.08.22
まずはジャッジの形式・形態をしつこく挙げます。
1)判定なし(ドローとなる)
2)全体での判定
3)ラウンド毎のポイント制
4)ある有効な状態にポイントが与えられるポイント制
前回に「4)の形態が、競技化の最終形態であることの説明をする」と予告しましたが、もうひとつだけ、前フリ入れておきます。今回の連載は、丁寧に丁寧に話を進めようと思っているので。
自分が分類したこの4つの形式のうち、2)や3)を採用する場合に、ジャッジはいったいどういう基準をもって、判断を下すのか。この問題を、先に片付けてしまおうかと思います。ここで出てくる話が、4)への流れに繋がります。
例えば、ボクシングだったら下記の基準でジャッジを行います。
1)クリーン・エフェクティブ・ヒット
2)アグレッシブ
3)ディフェンス
4)リング・ゼネラルシップ
JBCのサイトを見ると、これにもう少し但し書きがついてますが、WBAやWBCの基準も、基本はこれの筈です。
では、スマックガールはどうなっているでしょうか。こうなってます。
『判定基準は、ダウン・ダメージ・反則によるマイナス、次いで一本を取りに行く積極性を主軸として、各ジャッジの判断にゆだねられる』
この両者を読んで、いかが思われるでしょうか。
簡単に言ってしまえば、上記の1)〜4)の基準によって、客観的な判断が可能であるという前提にたっている(ように見える、もしくはフリをしている)のがボクシング、いやいや、客観性なんて言っても結局は無理なんだから、最終的には、ジャッジにえいやっで決めてもらおうよとエクスキューズしているのが、スマックガールと言えます。
いやね、こう書くと、やたら自分とこのスマックガールを落としているかのように読めちゃうかもしれないですけど、これ、相当長時間を費やして考えた自分(だけじゃないですよ、勿論)の結論なんですよ(*1)。
上記のボクシングの1)〜4)の基準で、客観性なんて、現実として無理だと思います。スマックガールは最後に「主観云々」とエクスキューズを入れているけど、それ以外は、大差ないじゃんというか。
ちょっと具体的に考えれば、これはもう自明の理だとすら思います。
よく言われるのは、手数と有効打の問題です。何発もの軽いパンチと、一発の重いパンチ、それをどうやって配点按分すればいいんでしょうか。近年では、アウトボクサー有利、つまり手数優先の判定が出る傾向があるなんて言い方は、よく見かけるんですが、傾向なんて言われてもなあというか。
つまり、このボクシングの採点基準では「これが答えだ!」という「唯一ひとつだけの正しい結論」は、出るわけないんです。勿論「明らかにおかしい」という判断だけなら、出せるかもしれません。「概ね許容できる」という判断は出来るし、「さすがに許容できない」という判断も出来る。が、「これが唯一正しい」という判断は出来ない(*2)。
これが、この採点方法の限界です。ここでは、自分が分類した2)と3)をごっちゃにして考えましたが、問題は同じことであるのは、ご理解頂けるのではないでしょうか。
誤解なきよう繰り返しておきますが、ボクシングの取っている立場と、スマックの立場、これも、どちらが良い悪いの話ではないんです。
こんな基準で客観性なんて無理だよと自分は書きましたが、そこをあえて痩せ我慢して、そりゃ確かに曖昧なとことは残るけど、これで可能な限り客観性を目指すんだ、それが競技なんだという主張は、主張としては、よく理解できます。
なので、まずは、現状がどうなっているのかを、明確に分析しようと思ってます。明確にすればするほど、自分の持論である「競技性と興行性はバランス問題」も、明確になってくる筈ですので。
さて、やっと、4)の登場です。『ある有効な状態にポイントが与えられるポイント制』の登場です。これこそが、競技化の行き着く到着点なんですね。次回こそ、「数量化・抽象化」の話に入れると思います。
*1:現時点では、ルール条文上、主観に委ねることを明記してしまうのは、さすがに如何なもんかと思わないでもない。やはり、ジャッジ基準というのは、ボクシング的に客観性を目指すのだと建前を貫くからこそ、基準足り得るのではないかと、最近では思う。最も、スマックガールは運営母体に競技的説得力がなく、著名ジャッジの方々にそれを委ねることで、権威を獲得し、説得力を得ようとしていたという言い訳は可能だし、実際に自分はそう考えていた。
*2:この連載、既に記した通り、誤字脱字や使う文字の修正以外は、発表当時のままなのだか、この段落に限り、大幅に削除と修正を行った。理由は亀田・ランダエタのジャッジの話の詳細に突っ込んで書いていて、今読むとさっぱりイメージが浮かばない為。