電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

御用マスコミ、御用学者

格闘技に限らず、それぞれのジャンルの専門マスコミが御用マスコミ化してしまうのは、これはもう、しょうがないところがある。そのジャンルで食っているんだから、狭義のジャーナリズム、つまり、批評性を求めても、それはもう無理なんだな。という事は何回も書いている。

例えば、野球やサッカーは御用マスコミばかりでありながらも、サッカーは比較的寛容というか、好きな事が書けるらしい。勿論、かと言ってそれはチームの戦略とかの話であって、恐らく突っ込んではいけない部分は多分ある筈で。格闘技なんて、見事に専門マスコミが批評性を失っているというか、最初からないというか、蛮勇な奴がごく稀にいるかと思えば、高島学レベルだったりする。

これも何回か書いた事があるけれど、政治批評が成立するのは、政治の村に入らないで政治を批評する事が可能であるからで。それだけ注目度の高いジャンルなわけだな。ところが、政治の中のさらにイチ分野である電力行政という話になると、その専門性を含めて、わかる奴が急激に減ってしまう。もう少し広くエネルギー行政全般に拡大しても、さっぱりだ。そうじゃないと言うなら、この体たらくはなんだ。

今回の原発騒動で、学問研究の世界はもっと酷いんだなという事も痛感した。そりゃスポンサーいなきゃ研究費足りないんだから、これも、あんまり文句を言うのは可哀想だとも思う。逆に言うと、産業への応用が難しい基礎研究や理論研究の分野は大変だろうなとも思う。そういう分野を積み上げないと、応用だって効かないわけで、国は予算を仕分けしてはいけませんというか。

色々な事がしょうがないと思う。皆様仕事なんだから。

かと言って、「政府と東電と民放と上杉隆の癒着」で書いた上杉隆なんて、石原慎太郎の記者会見で司会やってたぜ。そんな人間がジャーナリストを名乗る事自体が失笑モノなのに、私こそがジャーナリストでございと、ちょっとした情報操作とアピールだけで、ファンらしき馬鹿がいっぱい群がるんだから、世の中簡単だよなと思わざるを得ない。別に、民放から仕事なくなっても、お友達の政治家がいっぱい仕事くれるもんな。結構な事でございます。けっ、たかり風情がよ。

そういう御用マスコミが、東電の記者会見で、東電のポンクラ吊るし上げて、それで仕事してるような気になって、そりゃ世の中よくなりっこありませんわ。

かと言って、自分は、吊るし上げられている東電の社員のレベルが他と比べて低いとはまったく思ってない。何処だってあんなもんでしょ。人間なんて所詮その程度というか。だから、その程度なんだから、そんな人間ごときが、原発なんて難しいモノ持っちゃいけないというのが結論。