電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

続・信者のあり方

意外な展開を見せる町山智浩・日垣隆の罵倒合戦。どう意外なのかといえば、意識的にも無意識的にも、当たり前の言論やツイッターのルールを前提として話を進める町山さんに対し、その場しのぎながらも、結果的には、かなり有効であろう言論ルール違反な方法で応戦する日垣さんという構図。

具体的に言えば、意図的に町山さんのツイートを改竄しRTした日垣さん、それを指摘されても、これは校正と開き直り、都合の悪い自分のツイートは全部削除、残るハードコピー画像やら他人の非公式RTやらTogetterやらを指摘されると、逆に、町山信者が改竄した、町山は信者を動員して自分にテロを仕掛けていると強弁。

丁寧に探せば、日垣さんの酷い発言の証拠は未だ簡単に発見出来るだろうし、ツイッターは確か削除した発言でも、しばらくログは残る筈で、つまりホントの物理的証拠という話になれば日垣さんが不利なのは当然なんだが、あこそまでずうずうしく開き直る事によって、それ相応の効果はあげている。

町山さんにも指摘されているが、こんな事をして、今までの著作の説得力を落とす事になるという考え方は確かなんだが、果たして、日垣さんの過去の著作をこれからどれだけの人間が読むのかという話になれば、そりゃ新作の為に売名しておいた方が(そして見事に騙される人間はツイッターにも確かに存在しているのが散見され)、実質的には、ちゃんと売名に成功しているという考え方も確かに出来、つまり所謂炎上マーケティングの一種であるわけだ。

今回の件、そもそもは日垣さんのささやかな自画自賛を(個人的にはそれは確かに無様であったが)、町山さんがおちょくった所からスタートしており、さて今後、町山さんがどこまで本気でさらに攻勢に出るか、やればやるほどアホ臭くなる事も、だからこそ、日垣さんはシツコク町山信者のテロを訴えることも見えており、つまり引き時が難しい。

さて、こういう状況において、それぞれの信者は何が出来るのかという話でさ(笑)。町山信者にすれば、謙虚に証拠収集やらマトメやらを淡々と行うのか、もしくは、既に当たり前のルールを守る気のないのは日垣さんなんだから、徹底的に晒し型の罵倒に出るか、受け取る側の価値観にもより、難しいところである。