電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

昔の人はみんな凄い人

最近はプロレス・格闘技関連でも、暴露本じゃないと思えば回顧本で、昔の事ばかり語られる。自分は元々回顧ネタがあまり好きではなく、とは言え、面白くない事もないので、積極的には読まないものの、ついでには読んでしまうという程度であるわけだが、昨今のプロレス・格闘技系の回顧ネタ、基本は関係者のインタビューで構成される場合が多く、それは勿論ノンフィクションの基本であるものの、プロレスラーだとかプロモーターみたいな話を盛りまくる人種にインタビューしたって、事実の検証性においては大いに疑問が残るわけで、あの頃は凄かった、あの人は凄かったと歴史の真実などはどうでもよくなって、何だかなという気がしないでもない。

例えば、オシムの時がそうだったんだが、今のザッケローニなんかでも、サッカー自体には大して興味がないのに、なんでイタリアのメジャーで散々指揮した監督が日本なんかに来るのかと不思議に思い、色々調べたりするのわけだが、ネットに落ちている情報は、アジアカップの頃からあまり増えておらず、何かやたら物足りない。

オシムはあの屁理屈というか語り口と佇まいが面白かったわけだが、ザッケローニの場合は、あの笑顔がいい。何かスポーツの人には珍しい紳士な風情に不思議感があって、日本贔屓な事を語るのでもそれが本心から誠意をもって語っているように見えてしまい、イタリア人なんてどうせ姉ちゃん騙す事しか考えてない筈なのであって、化けの皮をはいでやるてな勢いで情報をあさったりする。

ところがそういう自分の好奇心は、少なくともネットだけでは満たされる事はなく、プロレス・格闘技に比較すれば遥かに数が多い筈のサッカーマスコミにおいてすら、たった今に対する取材はおざなりなんだと感じる。勿論、サッカー専門誌などを読めば、いくらでもザッケローニの面白いインタビューはあるのだろうとは思うものの、そこは門外漢ゆえ、そこまでの元気はないのである。

自分のようなサッカー門外漢が、今、釜本伝説やキングカズ伝説を読みたいのかといえば、あまり読みたいとも思わず、つまりザッケローニは日本のサッカーにとって、今から未来に向けての人だから興味があるわけで(オシムの事すら、現時点ではあまり興味がない)、おそらくプロレス・格闘技なんかでも同じであって、門外漢の人達が、昔のプロレス本を読んで今のプロレス観るようになるのかと言ったら、そんな確率は極めて低いのであって、益々何だかなという気がしてしまう。

と、あまり積極的具体的に現状を批判する事なく、薄味で終わらしておく。自分は脆弱な活力しかもっておらず、悪意はエネルギーを多大に消費するので、強い文句ばかり書いているとその反動で元気がなくなっちゃって、もったいないんだもん。