電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

戦わない理由、ジャンプノリの行方

相変わらず、このブログに来る検索子の圧倒的第一位は「モデル 赤犬」で、つまり、このブログは実は「ワンピース」ブログなのである。にも係わらず本格的な「ワンピース」批評に挑戦するんだかしないんだが、中途半端に宣言しておいて(「ワンピース本格批評(の序の序くらい)」)、放り出したままなのが情けないところ。

50巻過ぎから始まった「ワンピース」の怒涛の盛り上がりが、「2年後」で小休止し(物語構造としては、復活してシャボンディ諸島からの旅立ちまでで完結というべきだろうけど)、魚人島編に入って、これがあまり盛り上がらない、面白くないという感覚的な指摘は、確かにあっちこっちで見かけるわけだが、あそこまで盛り上がって感動的に収まったストーリーの次でそこまで期待するのは如何なもんかというのが、自分のような肯定的ファン(?)の心情ではあるものの、そんなファンばかりでないのもよく分かる。

ジャンプノリで敵の強さは充分強くインフレしてしまい、それに対抗する為にはルフィー一味も充分強くならねばならず、結果として今回のように中間地点的ストーリーだと、戦う理由より、むしろ戦わない理由を説得力もって読ませる必要があり、そこがやたら面倒くさくなっている印象だが、結果として、かなり回りくどくダイナミックさに欠ける印象を残す。

自分の守りたいモノを守る為には強くなくてはならないという、現在までのワンピースで辿りついた地点は、友情・努力・勝利なジャンプノリではあるものの、戦後民主主義的な視点からみれば充分マッチョ的右翼的であるわけだが、それでも恐らくその3大要素に続く重要な概念である筈の「正義」からは無縁で、「自由」を優先して成立しているのが、既存のジャンプノリとは一線を画しているとも言え、これからのワンピース、そこに加えて、戦う理由より戦わない理由が重要になっていくという構造を抱え込み、既に得た国民的マンガという支持を背景に、少年ジャンプ・少年マンガというフレームの中で、一体どこまで何が出来るのか、何処に辿り着こうとしているのか、自分には益々目が離せない。この世のすべてのマンガに感謝して、いただきます(違う)。