電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

自分、自分の事を自分言うとんの?

何か数回書いただけで、放りっぱなしだった「正しい日本語の書き方」というタグを久々に使ってみる。別に書き方のみの話じゃないのだが。

最近の若い奴は「自分」を一人称として使う、正しく二人称で使うべきというツイートをみかけ、ええーっと思った。自分は若くもないのに「自分」を一人称で多用するからだ。

手持ちのどの辞書(国語辞典、類語辞典等)にも、「自分」は名詞か代名詞であり、代名詞の用法においては一人称的な用法しか挙がってないばかりでなく、軍隊用語の一人称表現であるとする国語辞典もあった。勿論、ネットも漁ってみたが、日本語として「自分が本来二人称である」という説は発見出来なかった。

つまり「自分」が二人称であるのは、関西方言においてだろう。「自分何言うとん?」的な用法。上記のツイートをしている人も関西出身の方であるようだった(確信なし)。

少なくとも、日本語において、特に関東において、自分は遠からぬ過去においても現在においても、一人称であって何ら問題ないという事(ちなみに一冊しか持ってない古語辞典には「自分」という項目自体が存在しなかった)。自分は、クダけた文体だったり場合によっては「おれ」を使うし、堅い文体なら「私」を使うが、このブログにおいては「自分」を使う場合が圧倒的に多い。何故といわれると、「おれ」だとクダけ過ぎ、「私」だと固過ぎるからとしか言いようがない。

軍隊用語で「自分」と表現するのは、昔の映画とかでよくある。上官に向かって「はっ自分は特攻したいと思うのであります!」とか言う場合であって、畏まったニュアンスがある。つまり、謙譲表現であるわけだ。少なくとも自分はそのニュアンスが欲しくて、自分の事を「自分」と書く。