電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

馬鹿はブレない

最近「あの人はブレないねえ」という感じで、ブレない事が褒め言葉になる。元々は、青雲の志を抱いた若き政治家が、志半ばで汚れてしまって「あの人もブレてしまったな」的に使われてきたのが先だったように思うが(あまり自信なしだが、元々写真用語の転用であって、さほど古い言葉ではないのは確かだ)、最近では志を曲げない人への褒め言葉としての「ブレない(キリッ)」とか、おかしな奴がいつも通りにおかしいと嘲笑的ニュアンスで「ブレないw」とか、使われ方が多様化している。

気になるのは、褒め言葉としてのブレないであって、自分からすれば「ブレないw」方だと思えるような人が「ブレない(キリッ)」と褒められていたりして、要はブレない事が無条件に良いとされる風潮がある事で、当然の事ながら、何事かの志だったり夢や目的の為には、その一点の為に現実としてブレまくる必要がある状況が頻出するわけで、こういう事は、変わらない為に変わり続ける必要があるとか、そういう言い方で長くなされてきた圧倒的な真理でもある。

ここで気の利いた分かりやすい例など引けばいいのだが、生憎、そんな面倒くさい事はする気がないので、分かり難いとは思うが、要はだな、貴方が「ブレないね」などと褒められたら、ヤバいおれは馬鹿かもと疑った方がいいという事であって、かと言って「ブレている」と言われたら褒められていると思っていいのかといえば、勿論そんな事もなく、つまりは、まずは「ブレ」なんて言葉で人を説明しようとする相手の単純な思考を疑う事が必要で、それ以上に、常に自分の馬鹿さを疑っていろという事でもある。