電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

絶対感性

ツイッターを眺めてて、格闘技関連で例によってレベルの低いマスコミがレベルの低いオナニーをしているのをみて思いついた。せめて、ローションとかテンガとか使って、オナニーのレベルをもう少し上げろよ。

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絶対音感というのが、数年前に小説だかドラマだかをきっかけに少し話題になった事があったけど、もっと対象を広げて、絶対感性というのは、色々なジャンルに対してあると思うのだ。しかも、それは選ばれた人間にだけではなく、ほとんどの人に。

けれど、その感性は多くの場合、心許ない。だから、少なくとも他人の観賞に耐えるレベルの批評をしようと思えば、絶対感性に頼っていたら、よほどの天才でもない限り、マトモなモノは書けない(しかも感じた事考えた事を上手く表現できるのかという書く技術の問題もある)。ところが、一応プロのレベルでも絶対感性に頼ってモノを書く奴は多くて、結果としてすぐにボロが出る。

人の脳を、ハードとソフトとデータベースに例えた事があるんだが(ハードは持って生まれた才能、ソフトは後天的に身に着けた理性、データベースは知識)、この絶対感性に頼ってボロが出る例は、ハードやソフト性能に頼って、データベースが貧弱な場合といえると思う。データベースが貧弱だから正しい解答に辿りつかない。勿論、逆もまたしかりで、データベースがどんなに充実していても、ハードやソフトの性能が低ければ、ダメな事も多いわけだ。

ところが問題は、ハードやソフトの性能がいいと、データベースが貧弱でも正しい解答に辿りつく事もあるし、逆に、どんなに知識を蓄えてもまったく正しい解答に辿りつかない奴もいるということで。

少しアナロジーを変えてみる。スポーツでもいい、不景気が酷くてもっと町工場の技術を大切にしろ的な文脈で最近話題になる事も増えてきた工業技術とかのスキルでもいい、何のジャンルでも天才はいて、大して教わらなくても出来てしまう奴がいる。絶対感性に加えて絶対何とか神経とかがいいんだろう。が、そういう奴はごくごく少数で、しかも程度問題で、結局はデータベースへの蓄積を怠るとどこかで壁に当たる。スポーツとか工業技術とかの手先のスキルとかでも、結局は反復練習が必要で、それは神経にデータを貯めるという作業であり、後天的にソフトウェアを磨いていくことでもあり、その部分を怠っていたら結局レベルは上がらないという事だ。

結論となるのは、マトモな批評をしたかったら、マトモな事を書きたかったら、まず数をこなせ。勿論、数をこなしたからって、モノになるとは限らないが、こなした上でないと、素質つまり絶対感性も生きない。

こういう当たり前の話が通らない時代だから、あえて書いてみた。ちなみに素人批評で何かを罵倒して悦に入ってる奴をみると、ぶちぶち、いちいち潰したくなるというのは、おれの性格が悪いからであって、別にこの話とは関係ない。