電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

「恋の罪」には水野美紀のおっぱいが足りない

園子温恋の罪」を観た。封切り週明けの月曜日の初回に劇場に行くなんて、自分としてはかなり珍しい。それだけ自分の中の園子温に対する期待値が上がっているということだ。過去の園子温作品に関しては、一番好きな「紀子の食卓」については「ゼロ年代映画ベストテン」でちょっとだけ、「愛のむきだし」に関しては「おれのハートはいつもむきだしなんだぜ」で、そこそこ触れている。

というわけで「恋の罪」の感想、ツイッターでかなり呟いたんだが、もう少し練ってまとめる。ちなみに、水野美紀のおっぱい以外にはネタバレなしなので、これから観る人も大丈夫。

水野美紀のおっぱい目当てに「恋の罪」に行く人はまずは上映開始前に可能な限りの準備をして、最高のテンションをもってオープニングから観なければならない。タイトル通り、この映画には結論として圧倒的に水野美紀のおっぱいが足りない。勿論、ちゃんと見えている。そこは安心してよろしい。かと言って、かと言って、園子温、それはズルいだろという見せ方なのである。その為に、心からのアドバイスとして、最高の緊張感と集中力をもってオープニングを迎える必要があることを、再度執拗に述べておく。観れば分かる。

前作「冷たい熱帯魚」では、でんでんの存在感に圧倒されるわけだが、今回主役の3女優を押しのけて、大方斐紗子というお婆さんが驚異的な存在感をみせる。この女優さん、観た事あるなというくらいで、それ以上の印象がない。観終わった後に調べてデータをチェックしても、あまり思い出せない。ところが、これが実に凄いんだ。これまた観れば分かる、観てみてよとしか言いようがない。やはり、園子温の科白と演出力が突出しているのだ。

園子温って、実は凄くロジカルなんではないか。映像詩人的な紹介のされ方をする事が多く、事実昔はそういう作品が多いものの、評価も注目度も高まっての予算アップ(?)で、丁寧にテーマを描き込むようになって、前作「冷たい熱帯魚」も今回の「恋の罪」も、やたら分かりやすい。

冷たい熱帯魚」も「恋の罪」も、実はお話自体は割り算して明確に答えが出てくるような話なんだな。いわゆるテーマがハッキリしている。今回だったら引っ張ってくるのが田村隆一カフカで、一見分かり難いように見えて、実は凄く分かり易い。だから実は、凡百の監督がこれらの園脚本を監督したら、凄く凡庸な文芸作になってしまうのではないか。ところが園の演出力がそうはさせないのだ。

冷たい熱帯魚」のでんでんは凄かった。けれど、役者としてのでんでんが今後もずっと凄いのか過去にも凄かったのかといえば、そうは思わない。味はあるけど、何やっても同じなコメディアン上がりの脇役俳優。ところがあの映画のでんでんの存在感の突出ぶりときたら。「冷たい熱帯魚」のでんでん、「恋の罪」の大方斐紗子、こういう演技の突出のさせ方が園子温の演出力の象徴で(勿論、主役の3人も超熱演しているので為念)。それがロジカルな作品全体の整合性を覆い隠す(破壊する?)というか、否、きっと止揚するという表現が正しいのかもしれないが、映画に力を持たせているのだ。そうして、園映画は何やら他の映画とはまったく違う映画として成立してしまう。

ちなみに、水野美紀のおっぱいはまったく足りないんだが、その代わり、奥様な神楽坂恵の巨乳ぶるんぶるんと、富樫真の品乳さらさらは、もううんざりするくらい出てくるので、おっぱい映画としても充分満喫できると思います。


【追記2012.02.10】ソフト発売決定につき下記追加。たっぷり水野美紀のおっぱいを楽しもう!